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2004年12月01日

『カミングアウト』篠田茜

奇妙な同居生活の始まり
 私は現在、東京都内の大学に通っている。地方出身なので、普段は少し広めのアパートを姉と借りて二人で暮らしているのだが、今年の七月ころに、姉が夏の間旅行に行きたいと言い出した。「あー、家賃のことがなければ心おきなく旅行に行けるんだけどなー」という姉の言葉を聞いて、なんとか夏の間だけ住んでくれる子を探そうと思った。それなら、ゲイの子が良い。それが私の頭に浮かんだことだ。

 今年の四月ころ、ひょんなことから大学のゲイサークルに入っているゲイの友達が何人かできた。初めのうちは、ただただ初めて見る「ゲイ」に、「本当にいるんだー……」と驚いた。「ふざけんじゃねーわよ」なんて「オネエ言葉」も初めて生で聞き、「きゃー、テレビとおんなじ!」なんて思いながら、またどう接すれば良いのか少し戸惑いながらも一緒にいるうちに、少しだけどゲイの人達について分かってきた。テレビで見る彼らはたいてい「ちょっとアンタ、おだまんなさいよ」とか、「そんなことなくってよ」などと「オネエ言葉」をしゃべるが、ゲイ全員がそういうしゃべり方をするわけではないこと。普段、ゲイであることを隠している人が多いので分からないが、実は結構周りにゲイがいること(大学に入って以来ずっと友達だった子の何人かがゲイだということを、ゲイの友達ができた後に知った)。ゲイ、つまり同性「指向」は同性「嗜好」などと書かれ、「趣味の問題だ」と言われることもあるが、性的「指向」(性的な意識の方向性)は趣味や嗜好のように本人が自分の意思で変えたり選んだりすることは難しいこと。
  まあ、こんなコムズカシイことはさておき、一般的に言って彼らの多くは一緒にいてラクで楽しい。「お母さんに最近黒豚って言われたの」と悲しむ女の子に、「あんたの子供よ、って答えてやんなさいよ」としれっと返す、歯に衣着せぬもの言いとユーモア。彼らとなら、「ねえちょっと見てよあの女、肌見せすぎよね。男の気を引きたいの見え見え。嫌よねー、あーゆうの」と、女の子に対する文句も共有できるし、「はぁ、男ってなんで女のぶりっこに気づかないのかしら…………?」と、男に対する不満もなんだか似ている。そして、ヘテロセクシャルの男の子(異性愛者、つまり女の子を好きになる男の子)と違って恋愛関係に発展する可能性がないから、「私が相手のこと好きだと勘違いされてないかな?」、「もしかして相手が自分に気があるんじゃ?」なんて、大抵自分の考え過ぎで終わってしまう余計な心配も、彼らとの間には必要ない。ゲイが集まる新宿二丁目にあるゲイクラブなんて、女の子にとっては世界で一番安全な場所と言えるかもしれない。ゲイクラブに行くと、おしゃれでかっこいい男の人がたくさんいて、彼らは熱い視線を交し合ったり、いちゃいちゃしたりしているが、女の私など「壁の花」どころか「壁」みたいなもんだ。誰も目もくれない。
とにかく、そんなわけで私はゲイの男友達に家に住んでもらうべく白羽の矢をたてた。そして、夏の間は親元を離れて自由になりたいと、うちに住むことになったのが征司君だった。
 征司君は私と同じ学年で21歳、中肉中背。髪の毛は真っ黒、まじめそうな外見で、細かに気を遣ってくれる。自称「気の利くオカマ」だ。わりと中性的な言葉で喋るが、「オネエ言葉」では喋らない。それから、楽器を演奏することやクラシックミュージックが大好きで、なんでも、ピアノの腕はかなりのもので、県で賞を取ったこともあるらしい。また、自分がゲイだということをずっとひた隠しにしていて、最近ゲイサークルに入ったばかりで、自分以外のゲイに初めて会っていろいろな話をできるのが楽しいのだそうだ。
 ……というようなことを、実は同居を始めてから知った。自分でも無防備だったと思うのだが、同居を始める前まで彼について知っていることといったら、笑いのツボが合う人で、良い人だということと、それから、ゲイだということくらいだ。それでよく一緒に住んだな、と思われるかも知れないが、とにかく家に住んでくれる人を探して、姉が旅行できるようにしたかったのだ。
  しかし、征司君が家に荷物をすっかり運び入れた後で、姉の旅行の予定がなくなってしまった。なんでも、一緒に旅行するはずだった友達の予定が変ってしまったと言う。幸い、家には部屋が三つあり、三人で住むことはできる。ゲイのカップルに一人の女が割り込んできて、最後は三人で一緒に住む『ハッシュ!』という映画があったけれど、こうして我が家では、姉妹二人に男一人という、「逆ハッシュ!」のような同居生活が始まった。

彼の夏の課題
 一見奇妙な同居生活ではあったけれど、始めてみると、それは意外なほどに楽しかった。普段私と姉はそれほど仲が良いというわけではない。話すことは話すのだが、一緒にご飯を食べるのは月に一度くらいだし、休日一緒に何かすることもほとんどない。ずっと一緒にいるのでほとんど空気のような存在で、ことさら向き合おうなどと思わないからだ。しかし征司君が来て以来、私達は同居生活をうまく行かせるために、大きなカレンダーに自分達の予定を書き込みお互いの生活を把握し、そのうちに夜は皆で征司君がいる居間に集まって話すようになった。
 夏の暑い夜、クーラーが無いため窓を開け放して少し涼しくなった風を感じる。そして、お互い一日の疲れを癒すように力を抜いて思い思いのことを話すうちに、いろいろな発見があった。征司君にとって私は、学校だと少しはしっかりして見えるらしく、家では姉に甘えっぱなしなでそれが意外とか、まあそう言ったくだらないことがほとんどだったけれど、一つとても驚いたことがあった。それは、征司君に彼女がいるということだ。
二人で話していて最初にそれを聞いたときに、私は驚き、そして混乱した。
「は?え、征司君ゲイじゃなかったの?」
「うん、ゲイだけど、彼女がいるの。しかも、もう付き合って六年にもなるの」
「え……、なんでゲイなのに六年も女の子と付き合えるわけ……?」
「うちらは高一から付き合いだしたんだけど、すぐに彼女はご両親の仕事の関係で地方に引っ越したのね。んで遠距離になって、高校生で自由に行き来できないからほとんど会えなくて。それでも、メイルや電話しながら関係は続いて、彼女が大学は東京に来たからまた会うようになったんだけど、僕も彼女も学校やらサークルやら忙しいから月に一回くらいしか会ってないの」
「いや、それにしてもさ……」
ゲイだと思っていた人に、彼女がいると聞いたときの驚きといったらない。
「……言わなきゃいけないって分かってるんだけどね。ノンケ(異性愛者)の友達には、今のところ自分がゲイだってことは誰にも言ってないけど、彼女には言わなきゃ。……でも、今は彼女が期末試験で忙しいから言えないし、八月中旬を過ぎて、彼女が夏休みに入ったら言うよ。あー、言わなきゃね。ほんと、これが僕のこの夏の課題。あー、考えると気が重い」
 征司君はそう言って、ため息をついた。

カミングアウト
 ゲイであることを自分以外の人に言うことを、カミングアウトという。アメリカで、“coming out of the closed”(押入れから出てくる)という表現の短縮形として使われるようになったのが、この言葉の始まりらしい。そして、彼女にカミングアウトすること、これこそが征司君の夏の課題だ。
 彼の夏の課題がカミングアウトだということは分かったが、なぜ彼がこの課題を今の今までやらずにきたのか全く理解できない私は、こう尋ねた。
「ていうか、征司君いつから自分がゲイだって分かってたの? ゲイだって分かってたのに彼女と付き合ったの?」
 「……うーん、僕ね、中学が男子校だったの。んで中学の時に、もしかして自分は男が好きなんじゃないかって思ってたら、通学路でゲイ向けの雑誌が二冊落ちてたのを拾ったの。運命だと思わない?とにかく、それを持って帰って家で見たんだけど、『あー、自分は男もいけちゃんだな』くらいで、ゲイだとは思わなかったの。自分のことをゲイだと思いたくなかったっていうのもあるんだろうけど、男子校っていう環境のせいかなって思ってて。んで、高校に入って彼女と出会って、まあ仲良くなって、なんとなく彼女・彼氏みたいな感じになってさ。それからずーっと」
 ここまで聞いて、下世話だとは思ったが、好奇心に負けて私はこう聞いた。
「それで、……あの、何かしたりしてないの? 手をつないだりさ」
 「ないないないない! だって出来ないもん!」
征司君は手をぶんぶん振って即座に否定する。
「え、で、彼女はそれで何にも言わないの?」
「うーん、一回『うちらって普通じゃないよね。形としては付き合ってるけど手もつながないし』って言われたけど」
「じゃあ、彼女はそんな付き合い方に不満なんだねー。そしたら早く言ってあげて別れてあげなきゃねー……」
「……うーん、でも、なんて言われるかな? 言うの、こわーい。『だましてたの?』とか言われたり、嫌悪感抱かれたらどうしよう。汚いとかホモとかオカマとか言われたらどうしよう。彼女はすっごい良い人だし、人としては大好きだし、傷つけたくないの。いい関係続けたいし……」
「まあ、突然言っても彼女も動揺するだろうし、理解してって言っても難しいだろうから、なんかゲイの映画でも一緒に見て、それから言えば? すぐに理解してもらおうと思わないでさ、時間少しかけてさ……」
 そうやって私が偉そうにアドバイスすると、
「そうだねー、うん、やってみる」
床に体育座りをしながら、力なく征司君はうなずいた。
 ……しかし、八月中旬になっても、一向にカミングアウトする気配は見られない。
「カミングアウト計画はどうなった?」と聞く私に対する答えはいつもこんな感じだ。
「言わなきゃいけないのは分かってるんだけど、本当に怖いの。相手の反応が読めないから。怒っちゃうかもしれないし、泣いちゃうかもしれないし、……なんか言われるかもしれないし。絶対ひどいことになるよ」
「いやいや、そんなひどいことにはならないって」
「だってさ、篠田がもし彼氏に『実は俺ゲイだったんだ』って言われたらどうする? 嫌でしょう? そんな感じで、彼女も絶対すっごく嫌がって、もしかしたら怒っちゃうかもしれないし。絶対嫌われて、今までの関係も失う。分かってもらえるはずない。あー、やだ、言いたくない……」
 言葉のわりに意外に平気な顔で、征司君はこんな言葉をくどくどと続ける。一度や二度ならわかるけど、四回も五回もこんなことが続くうちに、短気な私は少しイラついてきた。
「なんで分かってもらう努力もしないで最悪の結果ばかり予想してんのさ? たしかにに彼女はショックを受けるだろうけど、そこまで悪い結果にはならないと思うし、それに征司君を好きで信じてつきあってる彼女の気持ちはどうなんのよ!?」。分かってもらう努力をしろ、なんて偉そうに人に思う前に自分はどうなんだ、という感じだが、こんな言葉をぐっとこらえながら、私は彼をじっと見守ることにした。

ゲイであることを隠して生きていく大変さ
 征司君のみならずカミングアウトするのは多くのゲイにとってとても勇気のいることだそうだ。一九九四年に約三百人のゲイを対象に『動くゲイとレズビアンの会』が行ったアンケート調査では、十パーセントもの人が「自分がゲイであることを誰にも打ち明けられない」と答えている。それに対して、誰にでも打ち明けられると答えた人はたったの二パーセントで、それ以外の人たちは「同性愛に理解を示してくれたり、偏見の少ない人」を選びに選んで、打ち明けているようだ。それまで築いてきた関係を失ったらどうしよう。もし、ゲイだという話が外に漏れたらどうしよう……。そんな恐れなどから、彼らの多くは自分がゲイだということを言えない、言わないで隠し続けている。
 同性愛に関する正確な知識や情報を伝える活動をしている『すこたん企画』のホームページによると「プライバシーの侵害になるので、正確な調査はないが、同性愛者は、どこの国でも人口の最低三から五パーセントいると推定される。日本でも、同性愛者向けの雑誌の売れ行きなどから考えても、同じような数字になる」とある。これに従うならば、日本には二十人から三十人に一人の割合で同性愛者がいることになる。ほとんどの人には、最低三十人の友人や知り合いがいるであろう。つまり、日本人ほぼ全員が、最低でも一人の同性愛者を身近に知っているはずなのである。しかし、私が二十代から六十代まで百人を対象に行ったアンケートの「同性愛者の友人・知り合いがいますか?」という質問に「はい」と答えたのは、たったの九人だった。全体の一割にも満たない。これは、いかに彼らが自分がゲイであることをうまく隠せているかを物語っていると言えるかもしれない。しかし、それがゲイにとって喜ばしいこととは言えないだろう。なぜなら、彼らはカミングアウトせずに自分がゲイであることを隠し続けるために、多くの苦労を強いられているからだ。
 征司君が一度こんなことを言ったことがある。
「はあー、ゲイでいるのって本当に疲れる。周りの人に自分がゲイだってばれるようなことを言わないようにって、いつも気を遣ってなきゃいけないんだもん。例えば、テレビに自分が良いと思う男の人が出てても、『あーかっこいい~』なんて絶対言えないし。そんな感じで、なんか、逃走中の殺人犯が口滑らせたりできないみたいな感じ。僕は悪いことなんてしてないのに……」
 私達は、とあるカフェの外にあるテーブルでお茶を飲みながらこの話をしていた。
「例えばさ、たまに実家に帰った時に、篠田の家であった楽しいこととかを家族に話したいじゃん? でも、篠田は男だってことにしてあるから、そのまま話すわけにはいけないの。うっかり『篠田姉妹』とか、『篠田が女だ』とか言わないように、ずーっと気をつけて喋らなきゃ。それから、たまにお母さんに『篠田君は元気?』って聞かれると、一瞬誰だろうって感じになって、それから、ああ篠田のことか、って。ゲイの友達のことは、全く喋ってないし。……ほんと、気が休まんないよ……」
 そのカフェは学校の最寄駅の近くだったので、征司君をゲイだと知らない征司君の知り合いが来ないか心配しながらも、私達は話し続けた。
「それだけじゃなくてさ、サークルにいれば、『あの娘可愛くない?』とか『お前あの子と付き合えよ』って何かと女の子の話になるじゃん。同窓会で久しぶりに友達に会えば、『彼女できた? 出来ないの? 何で?』だしさ。ゲイだからとも言えないし、いちいち嘘つくのも疲れてきたよ……」
 苛立ちからか興奮からか、征司君の声が少し大きくなってきたので、私はこう尋ねた。
「征司君、あそこに征司君の友達いるけど、この話してて大丈夫?」
 すると征司君は、さも疲れたという顔でこう言った。
「……はあ、ほらね、ゲイは悩みをうちあけるのも大変ッ」

「普通」でいるための努力
 自分がゲイであることを言わないということは、ただゲイであることを隠すだけでなく、「普通」である異性愛者を演じることでもある。そして、カミングアウトしない限り、その演技は24時間すべての人の前で続けなければいけないのだ。
 征司君の友達で、別の大学に通う健ちゃんも、ゲイだということを隠し、また異性愛者を装って生きていくのは大変だと言う。彼は現在21歳、中肉中背で一見まじめな「普通」の男の子なのだが、中身がとても乙女チックで、よく見ると瞳もつぶらでうるうるとしていてとても可愛い。
「『彼女いるの?』とか聞かれたらさ、いちいちかわし方を考えるのが面倒くさいよね。あと、ノンケ(異性愛者)は良いなーって思う。街中じゃ、僕は好きな人と手もつなげないもん。もしノンケだったらさ、普通にずーっと手をつないで歩いてたと思うよ」
 征司君や私と同じ大学に通う先輩の篤さんに「ゲイだということを隠して生きていく大変さは?」と聞くと、おしゃれでかつかっこいいのにばりばりの「オネエ言葉」で喋る彼からは、次のような答えが返ってきた。
「そんなの一杯あるわよー。うーんとね、例えば友達と仲良くなるじゃない。そうすると、たいてい恋バナ(恋の話)になるわよね。で、相手がいろいろ喋ってくれてもさ、こっちは言えないわけ。そしたら、相手は『なに?』って感じになるのよね。で、自分も恋バナとかできないからつまんないし、ゲイばっかりといるようになって、だんだんノンケ(異性愛者)とは付き合わなくなっちゃうのよね。最近ノンケの友達いないわー。あはは。
 あ、そうそう、これはゲイとして生きてく大変さについて、かもしれないけど、前にこんなことがあったの。彼氏とドライブしてて、結構人が来ない道に車を止めてね、『疲れたー』って彼氏に寄り添ってたら、チャリに乗った兄ちゃんが来て、窓を叩いて、『出て来いよ』みたいなことを言うわけ。だから、そっこうで走って逃げたけどさ、怖かったわよ。ま、ゲイだからされたのかは分からないけど、例えばノンケ(異性愛者)ならさ、『何あの男? はー、うざい』で終わりでしょ? でも、ゲイだとさ、『自分がゲイだからかしら?』と思ったり、『な、な、な、なんだよ。ゲイが公道の上でいちゃいちゃしちゃいけないのか!』とか、なんかもういろいろ考えちゃうわけ。あはは。なんだか自分が後ろめたかったりねぇー。今度からは、確実に人が来ないところに車を止めようと思ったわ」
 そして、征司君達三人が口をそろえて言った、最も辛い「普通」でいるための努力とは、「ゲイバッシングに加担しなければいけないこと」だった。
ゲイバッシングとは、ゲイに対する嫌がらせである。篤さんの話はこうだ。
「例えばさ、テレビとかでよくオカマネタとかホモ・ゲイネタとかあるじゃない。『お前らホモか!』って突っ込みが入って、皆が笑う、みたいな。あれってこっちからしてみれば、馬鹿にされてるって感じるものがほとんどなわけだけどさ、前に、『トリビアの泉』でゲイネタがあったのよ。『ミケランジェロはゲイだった』ってね。んで、ミケランジェロの絵に描かれた男同士がキスしてる映像が映されたんだけど、その後に効果音で笑い声が入ったわけ。『なんで男女のキスは愛の証で尊いものだとか言われるのに、男同士のキスは笑いの対象なわけ?』って腹も立ったけどさ、家族と一緒に見てて、『ここで笑わないと変に思われるかしら』なんて思って一応笑っておいたわ。ゲイネタに怒ったり、過剰に反応したりしたら、ゲイなんじゃって思われるかもしれないじゃない。だから、さ」
征司君も同じことを言う。
「家庭教師先に行ったらね、『先生、最近すごいもの見ちゃったんですよ』ってお母さんに言われたの。なにかと思えば、水着でいちゃいちゃしてたゲイのカップルらしいんだけど、僕にとってはお仲間じゃなん? でも、家庭教師先の子供は『おホモだち、おホモだち』ってはしゃいでるし、ここで僕がなんか言ってゲイなんじゃないかって思われたら嫌だから、『あー、それは嫌なもの見ちゃいましたね』って返したけど……。自分のことを『嫌なもの』って言ってるみたいなもので、辛いよね」
 
ホモフォビア 
 そんなに大変ならばカミングアウトすれば良いじゃない、と思う人もいるかもしれない。「今の時代、ゲイに対してあからさまな差別意識を持つ子は少ないんじゃないかなあ」と。私もそう思い、かつ、征司君の彼女に感情移入してしまって、いつまでたってもカミングアウトしようとしない征司君に対して少し苛立ちさえした。
 けれど、ホモフォビア(同性愛嫌悪・同性愛者恐怖症)は社会のあちこちに見られ、いまだに同性愛は「社会的病理」のように扱われている面がある。そして、誰よりもゲイ達がそれを敏感に察知しており、ゲイであるその本人がホモフォビアな場合も多く、そのことがまた、カミングアウトを難しくしている。
同性愛は過去には病気とされたこともあったが、病気では決してない。WHO(世界保健機構)は、一九九三年に「同性愛はいかなる意味でも治療の対象としてはならない」との宣言を出しており、日本もこの宣言を受け入れている。また、繰り返しになるが、同性愛は趣味・嗜好のように選べるようなものではない。
 しかし、例えば一九九一年まで、言わずと知れた日本を代表する国語辞典『広辞苑』は「同性愛」の定義として「異常性欲の一種」を載せ、また「異常性欲」・「性対象の倒錯」の例として、「同性愛」を挙げていた。
このような辞書の定義に加えて、篤さんの話にも出てきたテレビや雑誌に出てくる同性愛に対する笑い、それを身近な人たちが笑うのを見たりするなどの周りの人たちの差別的な態度、嫌がらせを受けた経験、例えば、「男か女かわからんやつ」「おかま」と言われる、仲間はずれにされる、「一緒に泊まったら、触られた」という噂をたてられる、など、社会には様々なホモフォビア、同性愛に対して否定的な価値観や情報が蔓延している。
 征司君と住み、同性愛について調べるうちに、私も社会に広がるホモフォビアの根深さを痛感させられた。例えば、同性愛に関するアンケートを出身校に依頼すると、こう言って断られた。「同性愛のアンケートは……、ちょっと……、受け入れかねますねえ……。寝た子を起こすようなことになっても困るので……」。そして、今まで大好きだと思っていた友人が、ちょっとした会話の中でこんなことを言う。「ゲイは人にあらず」。「ゲイクラブに行くの? おれは、襲われるかもしれないから絶対に嫌だ」。それから、私の最も近くに居る人たちは、私を心配するあまりに同性愛者に対する偏見をあらわにした。母親からは、「なんでそんなに同性愛の問題に深入りするの? もっと他に、勉強することならあるでしょう。それに、深入りしてるとあなたも同性愛者だと勘違いされるかもしれない。君子危うきに近寄らずよ」と言われ、そして彼氏からは「おれの周りで、女の子と仲良くなるためにゲイのふりしてるやつもいるし、ゲイのやつってなんか気持ち悪い。もうやめて」と言われけんかになった。もし、一日耳を澄まして生活したならば、絶対に一度は、周りの人やテレビの中でゲイに対する否定的な言葉を聞くことが出来ると思う。
 ゲイの人と一緒にいたり、同性愛について調べるだけでこれだけの軋轢が生まれる社会で、自分が同性愛者であることを素直に肯定的に受け入れられる人は少ないだろう。「同性愛をやめたい」、「同性を好きになればなるほど悲しい」……。こんなことを言う人も、珍しくはない。
 そして、彼女に対するカミングアウトを渋りながら、征司君はこう言う。
「もしかして自分はゲイかな?と思ったときに、先生が『お前らそんなホモみたいなことしてんじねーよ』って言ったの。テレビでもゲイを茶化すようなものが多いし、だから、これはモラルに反するまずいことだってその時に思って、それ以来ずーっとそう思ってる。社会のホモフォビアが自分にも染み付いてて、自分がゲイであるってことが嫌だし、ゲイに対しても嫌悪感がある。だからずっと、うちの大学にあるゲイサークルにも顔を出せなくて、他の同性愛者の人のことも見たことがなくて、もちろん誰にもカミングアウトしたこともなかった。自分が同性愛に嫌悪感があるから、皆も嫌悪感を抱くだろうと思ってるの。カミングアウトしたら親が口きいてくれなくなったとか、仲間はずれにされたとかいう人たちの話もネットでたくさん見てるから、カミングアウトが怖くて……。だから、ノンケ(異性愛者)には言いたくないし、彼女にも言いたくない」

「日本人はゲイに優しい」?
 このようなホモフォビアは様々な形で世界中に見られるものであるが、悲しいことに日本ではそれが無意識にしかも広く蔓延していて、それがゲイを取り巻く厳しい環境を作り出しているようだ。アメリカ人のゲイ達と話し、アメリカの現状を知るうちに、私は日本の厳しい現状を痛感した。
 日米の状況を比較するチャンスをくれたアメリカ人のゲイ、マットに、私は新宿二丁目のゲイクラブで出会った。その日、私は行きつけのゲイクラブに征司君や友達といて、いつものように喋ったり、気が向いたら踊ったりしていた。ゲイクラブと言っても、テレビでよく見る、女装した人達がお客に冗談を言って楽しませるような所ではなく、同性愛者が集い、お酒を飲んだり踊ったりする、いわゆる「クラブ」だ。そこは、入場料が無料でお酒も結構安い。一杯飲み物を買えば、手にスタンプを押してくれて、そのスタンプは一晩有効となる。ということで、約五百円で一晩十分に楽しむことも可能で、学生の私達にとってはありがたい場所である。
 そこで、さらさらの金髪に緑の瞳が可愛い男の子、マットに会った。彼はカリフォルニアの大学に通っていて、今は日本に遊びに来ているのだと言う。カリフォルニアといえば、ゲイに優しい州として有名だ。カリフォルニアのサンフランシスコにはゲイの人たちが集まって住んでいる、アメリカ一大きなゲイタウンがある。私達は、カリフォルニアのゲイ情報を聞きたくてマットに話しかけた。
「ねえ、カリフォルニアってどう?やっぱりゲイにとっては住みやすい?日本についてどう思う?」
それに対して、彼の驚くべき答えはこうだった。
 「ぼく日本が大好きだよ。日本の人はゲイに対してとっても寛容で優しいよね。カリフォルニアの人はそうじゃないよ」
 えー!? 天地がひっくり返るほどびっくり、とはこのことだ。大きなゲイタウンがあるカリフォルニアよりも、ほとんどのゲイがカミングアウトできない日本の方がゲイに対して優しいなんてことがあるのだろうか?けれど、よくよく調べていくうちに、マットの勘違いと、そして日本のゲイを取り巻く状況が見えてきた。
 
ララミープロジェクトと新木場事件
 アメリカと日本の状況は全く異なるため、比較するのは難しいというか不可能だが、二つの国で起こった事件を比較することで、日米のゲイを取り巻く環境はある程度見えてくると思う。
まずアメリカで起こった事件だが、マシュー・シェパードさん殺人事件だ。この事件は一九九八年にアメリカ北西部のワイオミング州・ララミーで起こった。1998年10月、当時21歳の大学生であったマシュー・シェパードさんが、ゲイを装った二人のヘテロ(異性愛者)男性にバーから誘い出され、ゲイであるというだけで暴行され、ピストルの台尻で頭蓋骨を粉々に砕かれ、柵に縛り付けられたまま放置されて死んでいたところを発見されたという事件だ。
 それに対して、日本の事件は2000年に起こった新木場事件だ。2000年2月、東京江東区の夢の島緑道公園で、30代男性が頭から血を流して死んでいるのがジョギング中の通行人によって発見された。数日後、公園の近所に住む14歳と15歳の少年と25歳の男が強盗殺人の疑いで逮捕された。その公園はゲイが出会いを求めて集まる場所で、犯人達はゲイなら暴行されても被害届けを出さないと思い、ゲイを狙って襲っていたという。また、ゲイは気持ち悪いから襲っても良いと思ったとも供述しており、犯人らは金を奪ったあとに気絶した被害者を公園の通路からは見えないような場所まで引きずり、近くにあった丸太棒を使って頭部や腹部を複数回にわたって殴打し、被害者はほぼ即死の状態であったという。
 この2つの痛ましい事件には、いくつか似ているところがある。まず発生時期が1998年と2000年と近いこと、被害者がゲイであった点、そしてゲイに対する偏見・嫌悪感が犯行動機にある点だ。
 けれど、事件後の両国の対応は決定的に異なり、それは両国のゲイを取り巻く環境の違いをはっきり表していると言えるだろう。
アメリカでは、この事件は「ゲイに対する偏見が引き起こした悲しい事件」として大きな問題となり、ゲイへの偏見や差別をなくすための議論がなされ、全米の様々な場所で被害者への追悼集会が行われた。また、事件発生地(ララミー)で一年かけて「なぜこの地でこの事件が起こったのか」というテーマのインタビューが事件関係者へ行われ、それを基に「ララミープロジェクト」という劇がブロードウェイで上映された。そしてそれに続くように、この事件を元に映画3本とテレビドラマ1本が作られた。また、クリントン大統領(当時)が、このような憎悪犯罪を非難するという声明まで出すこととなる。憎悪犯罪(ヘイト・クライム)とはあまり聞き慣れない言葉だが、「特定の人種、皮膚の色、出身国籍、民族、ジェンダー、障害、性的指向を実際にもつ、またはそれと推定される人を対象に行われる犯罪で、加害者がそれを理由として、意図的に被害者を選んで行われるもの」、つまり、差別や偏見が引き金となって行われる犯罪である。1994年に米国の連邦議会は、憎悪犯罪に対する刑罰を通常の犯罪の3倍にするという法令を可決していて、それに基づいて、大統領も「性的指向を理由とした差別は許されるべきではない」との声明を出したのだ。
 それに対して日本では、新木場事件はほとんど問題にもならず、ゲイに対する差別をなくすための議論もなされなかった。それどころか、新聞やテレビのニュースでは、被害者のプライバシーに配慮してかこの事件は一般的な強盗殺人事件として扱われ、同性愛者を狙った犯行であるという指摘すらほとんどなかった。その一方で、被害者がゲイであり、また事件発生場所がゲイが出会いを求めて集まる場所であったため、週刊誌やスポーツ紙は被害者の写真まで載せて、「公園の茂みは男達の愛の交歓場」、「男達の秘密の花園」などと、ただただスキャンダラスに面白おかしく取り上げている。
そして、裁判でさえ、ゲイへの差別が問題にされなかっただけではなく、ゲイを狙った犯行であるということも全く触れられなかったのだ。
 日本で最初のゲイの権利を求める裁判の弁護人でもあり、新木場事件の裁判をすべて傍聴した中川重徳弁護士はこう語る。
「検察や警察の取調べの結果、調書には被告人たちの動機として、『公園に集まるゲイたちがいて、少しくらいひどいことをされても警察に行けない。……ゲイは気持ち悪いから狩ってもいいと思った』と、ゲイへの偏見・差別がきちんと書いてあります。けれど法廷では誰も、裁判官も弁護士も検察官も、同性愛者を狙った犯行であるということはもちろんのこと、『同性愛』という言葉すら出さかった。理由は推測でしかないけれど、被害者や遺族の一般的な名誉のために触れなかったのではないでしょうか。けれど、被害者がゲイであったということに触れなくとも、『ゲイを狙った犯行だった』ということは可能だし、それこそが問題にされなければならなかったのです。普通大きな事件が起これば、社会において何が問題なのか、どうすべきか、などが議論されますよね。例えば、最近長崎で小学6年生の女の子が同級生を殺害するという事件が起こり、今の社会で何が問題かが議論されています。だけど、新木場事件ではそういったことが全くなされなかった。子供達が、ゲイに対して敵意を抱き、殺しても良いと考えるようになった。そんな考え方はどのような社会から生まれたのか、それが考えられるべきだったのに」
同性愛に関する意見を求められ、石原都知事は記者会見で「特殊な性状を持っている人(同性愛者)は見た目ではわからないから、どういう形で人権が棄損されるケースがあるのか想像が及ばない。実感に乏しい問題だ」とコメントしたことがある(2000・7・19・朝日新聞朝刊)。たしかに、身近にゲイがいない限り、同性愛者がどのような差別を受けているかはっきりとイメージできる人は少ないだろう。そして、多くの人にとって想像がつかず「実感に乏しい問題」だったから、新木場事件は大きな注目を集めることもなく、同性愛者への差別が問題にされることもなく、終わってしまった。
 同性愛者への差別が元で起こった二つの殺人事件。しかし、同性愛者への差別を問題として、改善しようと様々な試みが見られたアメリカと、問題にすらしなかった日本。この差は、あまりにも大きい。

ゲイバッシングとゲイパッシング
 それでは、マットの言うことはどうなのだ? なぜ日本人のほうが寛容なのだ? と思われるかもしれないが、それも、これらの事件を見れば分かる。
 二つの事件には共通点があると書いたが、違う点もある。事件が起こった場所である。アメリカのマシュー・シェパードさん殺害事件は日常の中で起こったが、新木場事件は「ハッテンバ」で起こっている。「ハッテンバ」とはゲイ達の出会いの場で、時にはラブホテル代わりにもなる場所であり、いくつかの公園が屋外ハッテンバとして利用されている。日本では現在、ゲイに対する暴力は、ほとんどが新木場事件と同様に屋外ハッテンバ付近で起こっており、屋外ハッテンバ以外でゲイが暴力をふるわれるなど過激なバッシングをされる危険はかなり少ない。それに対して、アメリカでは、住宅街、学校、デパート、パブなど、日常の中で、しかもかなり高い確率でゲイバッシングが起こる。ワシントン大学の研究者がカリフォルニア州サンフランシスコで500の短大の学生を対象に行った調査によると、32パーセントの学生がゲイを言葉で脅したことがあると答え、また18パーセントの学生がゲイに対して暴力的をふるったことがあると答えている。また、イェール大学が二つの大学のゲイの学生を対象に、80年代後半に行った調査によると、16から26パーセントの学生がゲイであることを理由に暴力をふるわれたことがあると答え、40から76パーセントの学生が言葉で嫌がらせをうけたことがあると答えている。
 マットと同じくカリフォルニア出身の大学生・キムはこう言う。「たしかにアメリカには同性愛に対するサポートもたくさんあるし、理解してくれる人も多くて、カミングアウトもしやすい。だけど同時に、同性愛を本当に嫌ってる人も多いんだ。だから、僕はどこなら安全でどこが安全じゃないか考えて、危険な場所ではゲイっぽく振舞わないようにしてる。地方とか、都会の中でも治安が悪いところとかね。偏見が多い場所に行けば、罵られたり、暴力ふるわれそうになったりするよ。命さえ奪われかねない。そういうの、たくさん経験している」
つまり、マットもそういった経験を多くして日本に来てみたら、日本では全く罵られたり暴力の危険を感じたりしなかったので、日本人は寛容だ、優しいと思ったのだそうだ。けれどそれは、ほとんどの日本人が彼がゲイだと気づかなかったためである。
日本人であるゲイの友達が、この話を聞いてほとんど怒り狂いながらこんなことを言っていた。
「アメリカでそれだけゲイバッシングされるっていうことは、少なくとも、ゲイの存在が認められてるんでしょ?皆がゲイは存在するって思ってるってことでしょ?ゲイへの差別だって法律で禁止してあるじゃない!日本じゃゲイバッシングすら起こり得ないわよ。日本で起こってるのはゲイパッシングよ!うちらは、存在しないことになってるのよ!」
過激なバッシングの危険が少ない代わりに、今の日本では、ゲイの存在が(そしてゲイへの差別に関する問題やゲイの権利が)ほとんど無視されているのだ。

征司君のカミングアウト
 こんなふうに、今の日本でゲイを取り巻く環境は、良くなってきているとはいえ、大変そうだ。それが分かってからしばらくして、ある夜私がバイトから帰って来ると、玄関先に力の抜けた様子の征司君が座っていた。顔には生気がなくて、明らかに様子がおかしい。
「……征司君、どうしたの!?」
 ちょっと慌てた私に対して、それとは対照的に征司君がゆっくりと答えた。
「……今日ねー、彼女にカミングアウトしたの」
「……あ、そうだったんだ。んで、反応は?」
「……うん、彼女泣いちゃった。……人ってびっくりすると泣くんだね、初めて知ったよ。……それから、彼女は信じられなかったみたいで、『どっきりじゃないよね?』って何回も聞かれた……。でも、彼女すごく良い人だった。『理解する』って言ってくれて、これからも友達でいようって」
「……そっか、じゃあ良かったね。……お疲れ様。がんばったねー」
 そのうちに征司君はもぞもぞと四つんばいで自分の鞄まで行き、プリクラを取り出して見せてくれた。
「これ、カミングアウトした後で彼女と撮ったの」
そこには、爽やかに、だけど少しぎこちなく笑う征司君と、そばに寄り添って笑う彼女の姿が写っていた。こんなに近寄っちゃってカップルっぽいなーと思いながら、「彼女可愛いね」と言うと、征司君はこうつぶやいた。
「このプリクラに写ってるのは普通のカップルだよね。なんの問題もない……」
……「フツウ ノ カップル」。そう、このプリクラに写っているカップルなら、「普通」に街中で手をつなぐことも出来るだろうし、相手に対する恋心を友達に何の不安もなく告げられるだろう。このカップルなら、からかわれることもなく、うっかり口を滑らすことも心配せずに、日常生活を送れるだろう……。だけど、征司君がこれから築いていくであろう関係は、「普通のカップル」とは違うんだ……。そう思いながら、征司君と彼女、男の子と女の子、が笑いながら寄り添って写っているプリクラを眺めると、なんだか胸がひりひりと痛む。
 だけど、これは征司君の新しいスタートだ。次は、大好きな人と撮ったプリクラを、幸せいっぱいに見せてほしい。

追記 ゲイというカテゴリーについて
 このルポルタージュの中で、私は男性同性愛者をゲイと呼び、ゲイを取り巻く問題について書いたけれど、このゲイというカテゴリーは少し暴力的で、慎重に取り扱われるべきだと思う。
 なぜなら、異性愛者というカテゴリーの中にいろいろな人がいるように、男性同性愛者というカテゴリーの中にもいろいろな人が居るにもかかわらず、ゲイというカテゴリーに入れられた人たちは、性的指向のみで人間性を判断され、一面的なステレオタイプ(セックスがすき、おしゃべり、女っぽいなど)を押し付けられてしまうからだ。ある授業で教授が「人間は皆、髪の色も、味の好みも、目の色もすべて違う。それなのに性的指向の違いだけが大問題にされ、それで人をくくるなんて、ナンセンスだ」と言っていたが、あるゲイの友人は実際にこう言って嘆いていた。「ノンケなら、哲学者にも、ダンサーにも、プロ野球選手にも、なんでもなれるのに、ゲイだったらいつも『ゲイの』って形容詞が最初にくるの。ゲイの教授、ゲイのフリーター、ゲイの学生……。何しても、『あー、あの人はゲイだからね』って。男性同性愛者は、ゲイにしかなれないのよ」。たしかに、性的指向のみを大きく取り上げ、それで人を一つのカテゴリーに入れて人間性を判断するなんて、その人達の他の個性を全く無視した暴力行為だ。
 また、性的指向の違いは個性の一つとは言え、同時にプライバシーに深く関わる問題なので、他人が軽々しく干渉・詮索してよい問題ではない。前出の「ゲイの」友人が、「自分が誰に性的欲望を感じるかなんて、自分と、自分が好きな人にしか、意味を持たないじゃない。なのに、なんでいきなりあんまり仲良くない人から『ゲイなの?』って聞かれたり、ジェンダーのクラスでレポートを書いたりプレゼンテーションするときに、『僕はゲイなんですけど』って皆に公表しなきゃいけないのよ。そんなのすごく個人的なことだし、本当にほっておいて欲しいわ」と言っていたが、私も「レズビアンなの?」とアメリカ人のそこまで親しくない友人に聞かれて、とても嫌だと思った覚えがある。彼女が、全く偏見をもっておらず、ただ事実を確認するために、まるで「あなた日本人?」と聞くように、さらりと聞いたことは分かったけれど、あまり仲良くない人からいきなりとても個人的なことを聞かれたことが嫌だった。異性愛者なら、いきなり「あなたは男性に恋するの?男性に性的欲望を抱くの?」なんて聞かれることがないのに、と思った。
 性的指向の違いが個性の一つして、当たり前のように存在を認められ尊重され、必要以上に問題視されない社会こそ、私たちがこれから作り出すべき社会だろう。

主要参考文献
『男ふたり暮らし』伊藤悟 太郎次郎社
『ゲイリポート』アカー 飛鳥出版
『同性愛者達』 井田真木子 文芸春秋
『同性愛者として生きる』伊藤悟 明石書店
『にじ』2002年夏 虹書房
『にじ』2002年秋 虹書房
『QMジャーナル』動くゲイとレズビアンの会 2000 Vol.15 5-6
『QMジャーナル』動くゲイとレズビアンの会 2000 Vol.14
GB SOS(ゲイバッシング SOS)http://www.occur.or.jp/GB/index.html 
シンジのハッテン情報 http://homepage1.nifty.com/skd/shinji/
すこたん企画 http://www.sukotan.com/
『Homophobia Often Found in Schools, Date Show』http://www.nytimes.com/ads/marketing/laramie/19981013_laramie4.html

投稿者 篠田 : 2004年12月01日 00:00

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