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2004年12月01日
『見ないを見る--川崎市ホームレス緊急一時宿泊施設建設を巡る声と力--』宮田清彦
男の背中を追って、深夜の街を走った。
神奈川県川崎市川崎区でホームレスの支援活動を行っているNPO法人・川崎水曜パトロールの会の活動。街中に散らばるホームレス達に生活情報を刷り込んだビラを配っていくのだ。「どこに誰がいるのか、全然、分かんないだろ」。男は悪戯っぽく笑う。ビラを渡し、親しげに声をかけて、少し話して、男はまた走る。走らねば間に合わない程にビラを渡すホームレスの数が多いのだ。
公共施設の裏側、雑居ビルの軒下、暗く沈んだ駐車場の奥の奥、公園の片隅の草の中。歩道橋の階段の裏側。まさか、こんなところに、と思うような場所に彼らは潜んでいる。
暗闇に目が慣れていくにつれて一人一人の顔も区別がつくようになった。柔和な顔、力強い顔、弱々しい顔。一人一人、別人で、それぞれに違う生き方をしていることに気付く。全体的には、中高年が多いのだが、中には20代にしか見えないホームレスもいた。
「川崎の人は温かいよ」と、男は言う。マンションの踊り場で寝ているような人を追い出さない住民もいる。迷惑だというなら迷惑のかからないようにお互い調整しあう。「公共施設なんかだと、電気が消えれば、泊まってもいいって合図」にしている所もある。
しかし、一方、川崎では昨年約50人の「ホームレス」が亡くなったという。今年は放火と見られる火事も多かった。報道がその原因の一つだと、男は言っていた。2004年1月から2月にかけて、川崎区堤根地域で建設が予定されていたホームレス緊急一時宿泊所の建設予定地では、「再検討」を求める住民が抗議行動を行い、それが大きく報道されていた。報道された時期と一致するようにホームレスの住居、段ボールハウスから火の手があがった。すべてが放火だと断定することはできないが、中には、ガソリンに引火したかのように電線の高さまで火柱が上がった例もあった。もちろん、失火も含まれるだろう。しかし、それだけが原因とも思えない。ブラウン管の中に映った、ホームレス支援施設に対する抗議行動がホームレスに対する放火を助長させたのか。
住民によって展開された反発運動の末に施設は建設され、ホームレス緊急一時宿泊施設「愛生寮」は2004年9月現在、運営を続けている。
それにしても、ホームレスはどうしてこうも遠い存在なのだろうか。それは川崎で大きく報道がされても相変わらずだ。都市圏で生活をしていれば、通勤、通学の道すがら目に付く彼ら。彼らについての情報量は圧倒的に少ない。不思議なものだ。誰だって、一度くらいは見たことがあるのだから、大勢の興味を引いてもおかしくはないだろうに。しかし、実際はそうではない。
私達とホームレスという人々の間には、深い溝があるような気がする。何故なのか、取材を終えた今もよくわからない。
川崎の人々はその溝を突きつけられたのだろう。だから、彼らはいろいろな反応をした。その声と反応をたよりに、問題を考えてみようと思う。どうして、私達は彼らのことを見ないままでいるのか。変化し続ける社会は、今まで向き合う必要もなかった人々を、私達に突きつけることだって充分にある。だったら、その時、うろたえたり、何かの間違いをしでかしたりしないために、川崎の経験を少しだけ参照してみようと思う。
1章 都市と消費者の親密な関係
ホームレスは数えられない
遙か昔から、ホームレスに類する人々はいた。しかし、日本において、ホームレス問題が次第に注目を集めるようになったのは、97年~98年くらいだろうと言われる。不況のあおりの中でホームレスは急激に増加し、目につきやすい存在となった。国も問題としてそれを認知し、2002年、国のホームレス自立支援特別措置法が制定。解決へと乗り出した。
自立支援法の制定を受けて、全国調査が行われ、ホームレスは全国に約3万人いるという数字が出た。川崎市の2004年の追跡調査によれば、川崎市に住むホームレスは1028人。しかし、これらの調査は目視で数を数えるという方法をとっているのだが、全てのホームレスを発見してカウントできるはずもなく、正確な数値を示しているわけではない。
解決へと乗り出すまでの長い時間と彼らの人口の捉えにくさは、それだけ問題の理解しにくさを示しているかのように思える。
しかし、理解されにくいその問題は、理解されないまま変化しつつある。そして、それは、川崎から見えてくる。
駅前の新しい「匂い」
ホームレス問題は都市特有の問題である。しかし、その都市自体も今、変化を迎えている。都市がそれぞれ特有に持つはずの「匂い」が変わってきた。
JR川崎駅東口、夜7時をまわると通勤客でごった返す。居酒屋の呼び子が威勢の良い声を張り上げて、ストリートミージシャン達が演奏の用意を始める。複合商業施設が軒を並べ、それぞれの施設が人を吸い込んでは吐き出していく。人口約130万人、政令指定都市の玄関口に人が絶えることはない。
駅前で、一際目を引くのは、2004年3月にグランドオープンしたばかりの商業施設「川崎ルフロン」。日航ホテルの横にある。入り口の階段はエメラルドグリーンの光を煌々と放っている。駅前をぐるりと見回してみると、この一角だけ少し明かりの色合いが異なっているように感じる。「川崎ルフロン」が目につくのは、幻想的な明かりが唐突な印象を受けるからだろう。やけに明るすぎるのだ。
西口にも新しい施設がある。こちらは2004年7月の完成。「ミューザ川崎シンフォニーホール」だ。駅の構内通路からアクセスできる作りになっている。本来、人気の少ない西口の一角を占める大型ビルで約2000名を収容するコンサートホールを擁する。西口は、開発の遅れている地域で夜になると闇に包まれる。しかし、この施設の一角だけが明るく光る。
それらの光は、街に調和しきれていない。つまり、川崎という街が本来持っていたはずの「匂い」がそれら施設からは感じられないのだ。そんな施設が新しく川崎に登場し始めている。
寝泊まり禁止
ミューザ川崎が開所するその2か月前、川崎駅に一つの変化が起こっていた。5月17日、市当局が禁止措置を行い、構内に寝泊まりしていたホームレス達が姿を消したのだ。
以前まではコインロッカーの上に荷物を入れた段ボールを整然と並べていた。夜になると、それぞれが荷を解いて、構内で眠りにつく。この駅にホームレスが寝泊まりするようになった時期はよくわからない。ただ、90年代初頭にはすでに問題にされていた。その間、駅や商店街、商業者施設の関係者からは幾度となく不満も漏れたようなのだが、禁止措置に至ることはなかった。寝泊まりしていた人数は100とも200とも言われこれまた定かではない。日によっても、年によっても変動する、正確に捉えることは不可能だ。唯一明らかなのは、「大勢のホームレス」が駅構内に寝泊まりしていたこと。禁止措置の範囲は、JR川崎駅構内の通路約170メートルで、構内の寝泊まりと長時間の荷物放置が対象になった。(『毎日新聞』2004年5月18日神奈川版)
禁止措置以降、ある者は新しく建設された野宿者一時宿泊施設「愛生寮」に移り、ある者は駅前に滞留を続け、ある者はまた別の所へ、それぞれ散っていった。
禁止措置は何故取られた?
音楽の街
まず、禁止措置を可能にした理由として上げられるのは、ホームレス緊急一時宿泊施設「愛生寮」の開所だ。新たな行き場を作ったことで、行政による厳しい「指導」が可能になったという見方だ。
そして、市が禁止措置に踏み切った背景には、ミューザ川崎シンフォニーホールの建設がある。阿部孝夫川崎市長の市政における一大プロジェクトと目されるホールは「労働者の街」から「音楽の街」を目指す同市にとっては最重要施設の一つとされている。京浜工業地帯の一翼を担い、日本の高度経済成長を牽引したと言われる川崎は、バブル崩壊以降、商業都市への転換を迫られている。消費活動の活性化を狙う立場からは、川崎公害問題などネガティブに捉えられがちなイメージを払拭し、集客力のある都市を目指すための施策が望まれている。文化都市の象徴たる存在として位置づけられているミューザ川崎は、市制80周年を迎える2004年7月1日にオープンした。市長の言葉を伝えるこんな新聞記事がある。
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駅西口のすぐ隣にできるホールへは、野宿生活者がいる通路などを通らなくてはならない。「表玄関にホームレスの方がいるのはちょっと困る」。阿部孝夫市長は(2004年)1月、ホールでのラインナップを発表する記者会見でこう言った。
「野宿生活者、安住の地は 市の宿泊施設、来月オープン(川崎発)」『朝日新聞』2004年3月9日朝刊第三社会面
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市長の言葉からは、川崎市が脱皮しようとしている文化都市に、ホームレスがそぐわないという認識がちらついて見える。駅構内での寝泊まり禁止措置の背景にあるのは、川崎市が抱く文化認識の問題だろう。
商業施設「ラチッタデッラ」の「匂い」
現在、文化は都市にとって有力な経済資源になっている。50キロ以内に横浜と都内の各商業地域と言った強力なライバルを擁する川崎市は、「魅力」を引き上げるための努力を続けているという。
そんな川崎にとって、もう一つの重要な施設が、駅からすぐ近くの川崎区小川町にある。2002年11月に完成した複合商業施設「ラチッタデッラ」。シネマコンプレックスを擁し、丘の上のイタリア風の街をモチーフに作られた施設だ。施設と言っても敷地の中に一つの街が作られたような印象で、お店や各種娯楽施設が入居している。
先が見通せないように曲がりくねった迷路のような小道は、次ぎのお店は何だろうと好奇心をくすぐる。中心のすり鉢状の広場には噴水がある。水しぶきに昼間の陽光が当たり、虹が見られる時もあることだろう。楽しげに笑うカップルやOL、家族連れが通りを歩く。洒落たジェラート屋やカフェ、ワインやシルバーアクセサリーのショップが並ぶ。施設は駅から数分の距離にあるのだが結婚式を挙げられるというチャペルの尖塔を眺めていると、駅前の雑踏は頭の隅へと追いやられ、川崎に居ることを忘れてしまう。
この施設と駅前の新興商業施設はどこか似ている。わかりやすいのだ。コンセプトが丁寧にまとめられ、見やすいよう消費者に呈示されている。そして、そのコンセプトは尖ったものでは決してなく、消費者は摩擦なく安心してその空間に居続けることができる。言い換えれば、一種類の「匂い」しかしないということなのかもしれない。
資源化された文化は誰にでも受け入れてもらえる普遍性を獲得するために、その「匂い」をうまく演出せざるを得ないのだろう。文化の「魅力」とは、本来、単線的に価値を序列化できるものではない。しかし、経済資源と化した文化の価値は、より多くの人々を魅了するという目的で引かれた一本の線上に配置せざるを得ない。だから、本来成り立ち得ない文化における「都市間競争」が成り立つのだろう。
ホームレスの一般的なイメージを思い浮かべる。彼らはそんな施設とは逆の「匂い」がしそうだ。ホームレスが不必要なのは、特定の「匂い」しかしない都市を必要とする誰かがいるからだ。フレッシュネス・バーガーのメニューを眺めながら、そんなことを考えて、私ははたと気付く。私もその一人かもしれない。そう、その日は、映画を見てきたばかりだった。満面の笑みで迎えてくれる案内係。ぬくぬくと気持ちの良い座席。ほど良く整えられた空調の中で響き渡る大音響。快適で楽しい商業施設。
「支配」と「保障」の関係
そんな気持ちの良い施設を私達が求め、結果的にホームレスを追いやっているとしても、私達消費者はその構造を直視できるのか。
唐突ではあるけど、私は東京港区六本木、あの街の朝を思い出す。夜通しうるさいあの歓楽街でレストランの給仕兼皿洗いのアルバイトをしていた。店では食べ残し、食べかすが大量に出る。六本木から人の影が薄くなるのは早朝だけだ。7袋ばかりのポリ袋に生ゴミをギュウギュウに詰め込んで店が閉まる早朝、店の前に出す。朝帰りの客が歩く通りには、同じような飲食店が並んでおり、店の前に同じようにゴミ袋を出していた。ポツポツと定間隔に生ゴミの詰まった袋が置かれている。ズラリと並んだゴミ袋は壮観でさえある。だから、あの街の朝はいつもすえたような匂いが充満していた。その匂いは人間が欲望を消費した印なのだと思う。
カラス達の鳴き声が街中に響いていた。電線の上で休むカラス達は急降下し、ゴミに止まり、くちばしで袋を破り、中身をついばみ始める。魚のお頭や肉片がカラスの口からはみ出ている。生々しく気持ちの悪い光景だった。自分の醜さを突きつけるような欲望の残りカスは見たくない。だから、お客はお金を払ってまで、店で食事をするのではないか。
お金は力だ、とつくづく思う。望む物「だけ」を手に入れることができる。そして、それができるのは都市にいればこそだ。
都市は、強制力=権力を基盤に成り立っているという考え方がある。本来的に食料生産機能を持たない都市はその調達を農村部からの輸送に頼らざるを得ない。それには強制力が必要になるのだ。だから、都市にはたくさんの物が集まり、それを求める人も集まる。社会学者藤田弘夫はこう書いている。「人間は様々な欲求を生み出していく。人間の行為は欲求を充足するためになされる。その際、人間はつねに人的、物的資源の<欠如>に突き当たる。そこで、人びとは人間の欲求に特定の規制を加えることで、特定の充足を保障するさまざまな権力を生み出してきた。こうしたなかで、権力は人間の生命の再生産や安全はいうに及ばず、内面の幸福にいたるまで、生活のあらゆる側面で『保障』すると同時に『支配』している」(P210『都市の論理』中央公論新社、傍点省略)。人間は自分で作り出した権力に、欲求を充足するための「保障」を求め、代わりに「支配」される。
楽しみを得るために集まる私達と誰の欲求にでも応えようとデオドラント化されつつある都市。そこにあるのは互恵的な寄り掛かりあい。都市と消費者の互いに「保障」し、「支配」しあう親密な関係の中で、「匂い」のするホームレス達の姿は薄らいでいく。ホームレスの寝泊まり禁止措置の背景にあるのは、そんな仕組みだろう。
2章 「保障」を求める力
商業者が求めた「保障」
2003年11月、前述の商業施設「ラチッタデッラ」の運営会社「(株)チッタエンタテイメント」は関係団体と共に「野宿生活者一時宿泊施設の設置促進を求める要望書」を市に提出している。都市と消費者の間の親密な関係は、より直接的には消費者とお店の間で取り結ばれるものだ。だから、市と同じくして、親密な関係を阻害される商業者達も「困って」いた
川崎駅前にオフィスを構える川崎商工会議所のHPを開くと、市への同じような要望書が並んでいる。その中の一つ、「川崎駅周辺のホームレスに関する提言・要望」は「ホームレスが地元住民はもとより商業界にとって、様々な形で悪影響と迷惑をもたらして」おり、「地元商業振興に大きな影響をもたらしている」ことを指摘している。数年前に作られたものだということだが、基本的な商業関係者のホームレスに対する認識を示していると言ってもいいだろう。具体的には、何が悪影響だったと考えているのか。
川崎中央商店街連合会事務局長の大津武雄氏は言う。同連合会は前述の「野宿生活者一時宿泊施設の設置促進を求める要望書」の提出に中心的役割を果たした組織だ。「具体的には、例えば、匂いを発したりとか、酒を飲んだりとか、喧嘩をしたりとか、いろんな意味であるいは、万引きしたりとか、いろんなこう、数限りない、イメージだけじゃなくてね、具体的な被害も含めて、そういうことがあったわけなんですよ」。ワイシャツにカフスボタンを止めた壮年の男性。事務局のプロパーとして商店街のために働いてきた。それだけに大津氏はホームレスに関する問題を真剣な懸案として受け止めてきた一人でもあるだろう。「例えば、試供品を食べに来たりとか。ホームレスだから、食うなとも言えないでしょ。被害届って浮かぶかもしれないのですが、キリがないのですよ。で、届けたからと言って、解決される問題でもない」。
同連合会は、「川崎市野宿生活者対策市民協議会」に参加してきた。市民協議会は、町内会の会長、商工会議所、民生委員、社会福祉協議会、地域代表町内会の連合会やNPOなどが集まり、ホームレスに関する政策について話し合う一種の諮問機関。
その中での議論を振り返りながら、大津氏は言う。「ホームレスを庇護する団体も中にはあって、人権を持ち出して、行政は保護して自立させる義務があるということを言ったり、あるいは、『解決』しようとすることは=排除しようというように受け止められがちだった」。市民協議会での議論は難航していたことをうかがわせる。
「商業者としては、商業振興にね、影響が出たりイメージ含めてね、マイナスな面が出ているから、それをなんとかクリアしたい」と考えながらも、「一方的に排除するのもちょっと、やりすぎかなって後ろめたさもあ」った。一つの落としどころになったのが、ワンナイトシェルター。緊急一時宿泊施設の建設だった。しかし、建設先の地元、川崎区堤根地域の住民も、市長、商業者と同様に「少し、困る」ことには変わらず、住民は施策の「再検討」を掲げて、猛反発。
2003年11月、川崎中央商店街連合会と関係団体は前述の「野宿生活者一時宿泊施設の設置促進を求める要望書」を市に提出した。「市に対するエールを送ろうということでした」。大津氏は説明する。
文面を見てみよう。川崎駅周辺の「環境美化対策」は、「まちづくり」を促進する意味で川崎市が当面直面する最重要課題と位置づけ、いずれにも増して、ホームレス問題の解決が急がれていることをまず指摘している。その上で、「周辺住民の十分な理解・協力を得るには至らず、地域住民の一部には不満・不安が高まる状況にあると聞き及んでいます」と地元の反発を懸念しながら、「本施設の設置が遅延した場合、川崎駅周辺のホームレス対策は暗礁に乗り上げることが必至であり、更に万一、最終的に実現困難ともなれば、政令指定都市の玄関口とも言える川崎駅周辺の環境美化推進に大きな支障をきたし、商店街の売上げ、川崎地域経済の活性化に大きな影響を及ぼしかねないことが危惧されるところであります」とした。
結局、地元は最終的には施設の受け入れに合意した。そして、現在では、一時宿泊施設「愛生寮」は運営を行っている。開所は5月10日、それから、一週間後が駅構内の寝泊まり禁止措置だった。禁止措置以後、駅のコインロッカーの上部には、荷物が置けぬよう斜めの傾斜がつけられた。床には、所々、赤いカラーコーンが置かれ、寝泊まり禁止を促す注意書きが貼られた。
禁止措置後の駅を商業者はどう見ているのか。そう問いかけると、答える大津氏の声が一オクターブ上がった。「駅ビルのホームレスが0になった。大変な効果ですよね。よくやっているなあ。大変な成果だなとみんな喜んでますね」。
大津氏が事務局長として、立場上、誠実に商業者の利益について考えてきたのはよく分かる。また、彼はNPOのボランティアが行っている夜間の野宿者見回りも参加したこともあり、野宿者に対する理解もあるだろう。
独自にホームレスに対する対応はしてこなかったんでしょうか、と聞いてみると「対症療法的になってしまい、抜本的な解決とはほど遠いでしょうから」と答えが返ってきた。行政による力を借りた方がうまくいくということは理解できる。
しかし、「保障」を求める商業者。それに応える行政。そして、その関係に組み込まれることのないホームレスは「支障」になるという消極的な定義しか与えられていない。
住民の怒り
「保障」を求める力は誰にでもあるわけではないが、新たに獲得されることもある。それを成功させた人々が一時宿泊施設の建設に対する反発運動を行っていた地元住民達だ。
川崎駅から南西へ歩いて10分ほどの距離にある、堤根・日進町・下並木。それぞれ隣接しあった地域に反発運動を展開した住民達は住んでいる。駅東口を出て、京浜急行本線と平行に右方向へ歩を進めれば、JRの線路と直角に交わるように伸びている市電通りにぶつかる。市電通りを渡り、郵便局を左手に見ながら進めば、もうそこはホームレス緊急一時宿泊所「愛生寮」へと至る道路だ。愛生寮はさらに進んでJR横浜方面行き列車が通る一つ目の踏切の前にある。反発していた住民はこの近辺に住む者達だ。とりわけ、市電通りの郵便局と京浜急行本線の先にある八丁畷駅、それと愛生寮前の踏切の三点を結んだ内側のことを堤根地域と呼び、そこの住民達が反発運動を展開していた。
「よくぞ、この問題に目をつけてくれた!」。川崎市内で鍼灸院の院長を務める西井一馬「堤根・日進町・下並木地域住民の会」代表代行と向かい合う。院の待合室に現れた彼は、ざっくばらんな口調、恰幅のいい体格、藍色の作務衣という出で立ち。胸元には金色のネックレスが光っていた。
住民の会の前身は「川崎ホームレス自立支援事業の再検討を求める会」で、前述の反発運動を行っていた住民のグループだ。2004年1月~2月を中心に大きく報道された川崎市川崎区の堤根地域で引き起こった、ホームレス緊急一時宿泊施設「愛生寮」の建設を巡る行政と住民の争い。西井氏は住民側の中心的存在で行政との直接交渉に当たってきた。
西井氏は、こちらが質問する間もなく説明を始めた。「そもそも、この話は不透明な話だったの。他の地域で起こっている反対運動とはちょっと異質なものだったと考えて頂かないといけない」。
堤根・日進町・下並木の町内会には既すでに、ゴミ処理場を初めとして、福祉センター、警察署、授産所、低所得者用の簡易宿泊街、民間の生活保護者受け入れ施設、そして、川崎市が支援する民間の野宿者用の自立支援施設がある。
「これだけ、迷惑施設がある地域も珍しいでしょ。全国にも例がないらしいですよ。これだけ集約して迷惑施設がある地域に、こういうものを作るならまず、最初に前ふりがあってもいいじゃないかっていうことだよね」。
行政からの前ふりはあるにはあった。2003年7月29日。施設が完成する9か月前、第一回の住民説明会が開かれた。説明会の告知ビラが配られたのは主に建設地の周囲20メートルに居を構える住民。もともと、堤根は人の少ない地域でもある。建設地の近隣は工場などの会社施設が並び、堤根の人口自体は143人に過ぎない。したがって、説明会に参加する住民も少なく、行政からすれば都合が良い部分はあるだろう。
実は、施設はその一年前に川崎区内の富士見公園近辺に建設される話があったが、近隣住民の反対に合い、建設が難しくなった経緯がある。施設の設置が遅れている行政にはおそらく焦りがあったはずだ。その時、行政は「指定道路があるから安心です」と住民に説明したらしい。指定道路とは、施設に出入りする際、利用者が通らねばならない道のことだ。他の道路からの入所は認められない。
西井氏はそこを問題視した。建設地の周囲20メートルの住民だけでなく「指定道路」の周りの住民にも説明するべきだと。
「ふざけんな、と。ホームレスはここを歩いて入りなさいという指定道路。指定道路があるのなら、その周りにも知らせるべきじゃないか。僕がそのことに気が付いたので、質問したら、『いや、施設の周囲だけでいい』。あなた達はここを歩けって言ってんだろ、ホームレスの人権も考えないで。その方がおかしいんじゃないか」。行政は反発を回避するために「指定道路」を設置したという印象は否めず、西井氏はそこを逆手に取った。ただ、行政関係者に寄ると、住民の側から施設に出入りするための「シャトルバス」を運行するよう提案があり、その代替案として「指定道路」を提案したという経緯があるという。それぞれの発言からはせめぎ合いように自組織の主張を貫こうとする様子が垣間見える。
西井氏達は、ビラを説明会に参加しなかった住民達に撒いて状況を知らせ、出席を求めた。「その時は反対運動でもなんでもなくて、この辺の部分をキッチリさせて欲しいということ」だったというが、「嫌だ」と思う気持ちがなかったわけではないだろう。少なくとも、突然であれば、驚きはするはずでその延長線上に反発してもおかしくはない。そして、説明が道理に合わない部分もあった。そういうことなのだろうか。
反対運動?
西井氏は行政批判を続ける。1ヶ月後、9月1日4回目の住民説明会。「行政は『明日からの行政の市議会の補正予算案に提出させてもらいます。もう時間ですから』って出ていってしまった。結局、紋切り型だよね。もうみんな、ふざけんなって話になってしまって、だって何も聞いてくれないんだもんね。残った連中、頭来ちゃって」。反対署名を3日間で2512筆、集めた。9月11日には、979筆の追加署名を提出。合計3491筆。この時点では、「反対」の署名を集めたということだ。しかし、後に意見を翻す。「我々は10月6日の時に一つ転換点を持ちました。『再検討を求める会』を結成したのです。反対運動ばかりが誇張されてしまったんですね」。だから、「反対」しているわけではなく、「再検討」を求めているに過ぎないという主張を前面に出した。「(行政との直接交渉など)裏側では、いろんな迷惑施設があったところだから、キチンと説明さえしてくれれば受け入れますよって話はしてたんですけど」。
西井氏は自信に満ちた表情で淀みなく話を続ける。恐らくリーダーたる人間が備えているべき一つの才能なのだろうと思う。与えられた条件の中で、いかに有利にことを運ぶことができるか。冷徹に判断しながら縦横無尽に論を進めることができなければならない。そう、だから、リーダーになれる人とそうでない人がいるのだとふと思う。
「住民会」とその要求
再検討は求める会は、施設予定地に隣接するバネのメーカーSPGフコク社長伊達満氏が代表、日進町でマンションを経営する鈴木慎二郎氏と堤根在住の西井一馬氏が代表代行を勤め、その下に世話人会がある。その中心的メンバーが約10名で、その他に約30名が名を連ねている。さらに、その下に会員がいるという構成だ。合計で300名と少しを超える位だという。また、世話人会は、施設に近い所に居住する「一番懸念している」面々が名を連ねているということだ。
住民の要求は、1、ここになった経緯を知らせて欲しい。2、他の場所を検討したという返事があったのだけれど、その資料を見せて欲しい。3、他の候補地が駄目になった理由を聞かせて欲しい。また、そういった話に関係する会議の議事録を見せて欲しいということ。「だけども、出てこない。結局、ここに建設することに決まったって言うことなら、健康福祉局の中で決定するに至った会議があるはずなんだけど、ないって言うんだよ」。
ホームレスに対する忌避なのか?
行政の説明が不明瞭なのはその通りだ。しかし、住民は反対しているのか、再検討を求めているのか。それとも、違う意図があるのか。極めてわかりにくい。西井氏の声がドスを効かせたように低く沈み込む。「再検討という名前を付ける時、大きく揉めました。反対運動にしようって人がいて、でも、ガンとはねつけました。反対運動にすれば我々は火だるまになるって」。反対したいという気持ちは本音でもある。それを傍証するように、同じく代表代行を努める鈴木慎一郎氏は「結局、ホームレスを忌避しているだけなんじゃないですか?」という質問に対して、低所得者用の簡易宿泊所の宿泊者達が行うという「迷惑行為」を念頭に置きながら、「これ以上、増えるのは困る」と答えている。
行政への猜疑心
加えて、鈴木氏は、どうせ駅前の環境を「きれい」にしたいだけだろうと市当局に対する猜疑心を覗かせた。
ホームレス緊急一時宿泊施設の建設は、都市間競争に打ち勝つことを目指す中で引き起こっている都市の変化に連動していた。しかし、その変化が、いわゆる、「市民」のためなのか、たしかに疑問はある。都市間競争に関して、社会学者町村敬志氏はこう述べている。「都市間競争という発想は、『共通の敵』や『危機』といった語りを介して、本来存在しないはずの共通利害や擬似的な一体感を反射的に作り出していく。言うまでもないことだが、都市や地域はそれ自体が互いに競争しあうことは決してない。また一般の市民が互いに競争しあっているわけでもない。競争の現場に立ち会っているのは、グローバルな市場との連接を通じて都市・地域の成長維持を図り、あわせて自己利害の達成をめざす政治経済的な主体達に、あくまでも限られる。ところが、競争というレトリックの強調は、それとはまったく無関係なはずの多くの市民まで、都市を舞台にした動員のプロセスへと巻き込んでいくことに道を開く」(「世界都市からグローバルシティへ」梶田孝道・宮島喬編『国際社会1国際化する日本社会』東京大学出版会 P121-122)。
住民達は、施設の建設のプロセスに強く反発していたのだが、それと同時に「動員」のプロセスの中に組み込まれることに拒否感を持ったのではないだろうか。都市による市民への「支配」の強制とそれに対する抵抗。
いや、それだけではないかもしれない。個人個人、違う思惑を持っていることだろう。やはり、彼らの心境を簡単に規定することはできない。
迷惑行為の中のホームレス観
西井氏はホームレスの「迷惑行為」に関して、こう述べる。「もともと、年中徘徊してんだから、住民はかなり理解者が多いの。ホームレスなんて屁でもないの。年中うちの前でしょんべんしてるし、うんこしてるし、女の子見つけちゃ、追っかけ回したり、卑猥な言葉を投げかけて通りすがったり、おちんちん出して歩いたり、日常茶飯事に見てるわけ」とした上で様々な迷惑施設があることに気が付いていなかった比較的新しく住民になった人々についてこう言う。「新しくマンションに移ってらしたような方は、愛生寮の建設に対してかなり強く抵抗するよね。
あまりにも自然に協調していたから、我々(旧住民)と彼ら(ホームレス)がぶつかる場面なんてなかったし。あまりにも自然に流れていたから、そういう所のマンションを買われた方々も気が付いてなかった。今回の騒ぎになってみんなびっくりしちゃったわけ。これは大変な所にいるんだ。そこにもう一つ来るんだって話になって、大騒ぎになった」。
しかし、古くから住んでいた主に堤根地域の住民達に「理解者」が多いというのは言い過ぎかもしれない。というのも、西井氏の説明によれば、第一回の説明会に出席し、「大変なことになる」と感じ、周囲にビラを配っているのも彼らだ。決してホームレスを受容しているわけではないだろう。
また、堤根地域の住民が近所で見慣れているのは正確に言えばホームレスではない。恐らく地域住民が見てきた大部分は「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊街に住む、主に生活保護受給者と呼ばれる人々、その中でも一握りの人の行動だろう。しかし、西井氏は彼らのこともホームレスと呼ぶことがある。状況を把握しているはずの西井氏でさえも、ドヤ街とホームレスを同じものとして言葉にする。逆に言えば、簡易宿泊街で目に付く「迷惑行動」が彼らのホームレス観を規定しているということなのかもしれない。私も簡易宿泊街を行き来する中で、おしっこを引っかける人を幾度となく見たし、路上でズボンと下着を降ろしている人も目撃した。恐らくは、住民にとっての基本的な迷惑的な行動、神経を逆撫でし続けた行動というのはそうした種の行動だろう。
ちなみに、この地域にある主な公園は三つしかなく、ホームレスが住める場所は限られている。他の公園や駅前、河川敷に比べれば数は少ないだろう。また、筆者が歩いた2004年9月の段階では2桁もホームレスはいなかった。
普通の住民は区別できない
しかし、そんな人ばかりではない。迷惑行為をするホームレスがいれば、しないホームレスもいる。何故、極端に嫌がるのか。西井氏はこう解説する。「普通の住民の頭の中でそれらは区別できない、そりゃ、ホームレスの方々とふれあっていたり、ホームレスの動向、生活について知っている方だったらいいかもしれないけれど、普通に生活をするものたちが、目にするのは立ち小便だったりそういう物を目にする。目につくのはやんちゃなものが目に付く。で、おとなしくしている人達ってのは、一般の中に溶けこんでいるからわからない」。確かにそれも片一方の真実だろうとは思う。ちなみに、西井氏は経験上ホームレスと話す機会も多いのだという。
西井氏ら世話人会は総論賛成を謳うが、その組織の内部では賛否両論。恐らく個人個人、思惑も違うのだろう。嫌な物を良いと言い、迫り来る行政の施設建設を前に戦略的に立場を選択した西井氏ら。しかし、西井氏らは施設を受け入れざるを得ないと考えていた。だから、行政と反発する住民の橋渡し役を買って出ていたに過ぎないと彼は言う。「代表と代表代行の3人が直接的に行政と話合いをしたんだけど、実りある話がちっともなくて、それでどうしようかねえって。工事は始まりますよって脅かされたし。俺たちもサンドイッチになったわけ。変な返事持ってくると(再検討を求める会が開く)町会で叩かれるわけよ、お前ら、何やってんだ、って。だから、町内会終わったら、すぐ役所に電話してさ、なんで、俺が謝んなきゃ、いけねえんだよ。お前が来いよ。このやろう!って。そしたら、先生お願いしますって(笑)。もう出てこないよ。出てきたら、大変な騒ぎになっちゃうもん。だから、逆に良いよと、お前らが出てきてもロクなことになんねえから、ここで話した内容を俺らがもっていく。
もう、叩かれて、叩かれてねえ。苦しかった。あの何ヶ月間は泣き入ってたね。俺なんか、うちの親父にまで怒鳴られて。『西井、何やってんだ!俺も西井だけど』、なんて言われちゃって(笑)。大変ですよ」。
メディアの後押し
様々な思いがうずまく「再検討運動」。西井氏らの「再検討運動」が成果を上げたのは何故か。一つの理由はマスコミに運動が取り上げられたことだ。
「結果的には1月の4日。TBSの報道が入ったんですよ。これでね、一気に火がついたっていうかね。住民の中でも火がついたし、行政も我々を無視できなくなった。なんで、報道各社が引かなかったかというと、不明瞭な点が多すぎるから、プロセスが余りに不明瞭。だから、彼らも裏がないかと勘ぐった」。西井が勘ぐっていたのは、土地の地権者が市長と繋がりのある人物であるということ。また、不明瞭さを説明するかのようなこんな新聞記事も出ている。
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川崎市が設置を進める野宿者向け一時宿泊施設の問題で、同市が設置しようとしている川崎区堤根の工場跡地の土地や建物に複数の金融機関によって根抵当権が設定されていることが9日、毎日新聞の調べで分かった。
(「川崎の野宿生活者施設設置問題 土地、建物に根抵当権、設定認識し、契約」『毎日新聞』2004年2月10日朝刊神奈川版 )
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これも反発を誘発する材料になりえる。不明瞭にも映りかねないその関係は、住民にしてみれば、裏切りと感じられるかもしれない。火に油を注ぐような状況が堤根地域にはあった。
「2月15日に(健康福祉局内の施設建設における議事録の)開示請求を起こしているんですよ。そこでの返事がもっとすごかったですね。文書が存在しないって。1億6000万(初年度費用)の施設を議事録も取らないんだ。これはおかしいって、言って。新聞、テレビはやっぱり離れなくなっちゃった。だから、話しやすいっていうのはありました。いわゆる、再検討を求める会ってのは有象無象の集まりで、町内会だとか、キチンとした会則があるわけじゃないから。1月22日に市長会談をするっておかしいじゃないですか。相当、報道が効いてる」。マスコミで取り上げられるに連れて「再検討を作る会」は表舞台へと押し上げられ、影響力を獲得するに至った。それぞれが自分の主張をいかにねじこむのかを巡る争い。これはパワー・ゲームだ。
パワーの源泉
そのパワーの源泉は何か。
西井氏の淀みない声に耳を傾けていると、声は力だと強く思う。大きな声。それは影響力を獲得することに繋がる。
もっとも、声の影響力は大きさのみに由来するわけではないではないだろう。「威信」という言葉がある。威信とは資質、地位、職業、収入、財産、生活様式などに対して与えられた評価に基づく個人や集団におけるある能力のこと。そして、この能力は自己の望むように他者の行動を決定したり、自己の望まないように決定されることを拒否する力のことだ。主に他者の尊敬や信服といった感情的反応を基盤としており、他者に対する潜在的強制力になる。(参考:『社会学小辞典』有斐閣 1999年7月)
社会学者の宮島喬氏はこう書いている。「社会学者は『威信』(prestige)という資源の不均等配分が、階層あるいは地位集団を形成する一つの要素をなすことを指摘してきた。(中略)どの社会にも、言語の『正しい』発音や語法に固執する成員がいて、「方言」や「俗語」を忌みきらう。『威信階層』という観点に立つなら、これらの人々はその上位に位置づけられる人々にほかならない」(『文化と不平等』有斐閣 P16)。西井氏など代表代行、代表という立場の人は明らかに「威信階層」の高い人達だろう。他者に対する潜在的強制力、「威信」はまず、社会的地位に関係している。
また、話術の巧みさや態度などコミュニケーション技術も「威信」に関係している。そうだとすれば、中央商店街連合会やNPO法人・水曜パトロールの会も「威信」の高い人と考えられるかもしれない。
また、正当性が感じられる意見でなければ、「威信」は得られない。そう考えると、西井氏らが、初めから施設を受け入れようと言っていたのもうなずけてしまう部分がある。そうすることで「威信」を獲得し、「住民」の現実的な利益を考えたのか。
抗議行動から終局へ
力がなければ、「支配」と「保障」の関係に組み込まれることすらできない。声を上げられるものは、より多くの「保障」を求めて声を上げる。
1月20日には、行政は工事の強行着工に踏み切り、住民側は工事予定地で抗議行動を行った。厳寒の最中、工事予定地にやってくる業者と市役所員を実力で阻止しようと試みた。また、その時の様子はテレビ等で大きく報道された。住民側がまとめた資料からその日付と参加人数を見る。
1月19日 40名。
1月22日 市長と住民代表が会談。市長は「行政を甘く見ないで欲しい」と発言。
1月30日 住民5~6人
2月3日 住民20名
2月4日 住民15名
2月7日 住民15名
2月10日 住民20名
「このまんま行くと、どっかで被害者出てくるじゃない。一番、心配していたのはそこなのよ。うちの親父は80からの人間がこれ(抗議行動)やってるわけ、朝の5時から寒い中からさ。で、マスクしてたらさ、顔隠してそんなことしてと、やり玉にあげられたりさ、ふきっさらしの所でお前、立ってみろって言いたくなるよ」。
2月28日、住民は名古屋にあるホームレス自立支援施設の見学に出かける。「反対」しているはずの住民が見学に行くというのはまれな例で、確かに住民が問題を真摯に考えていたこともうかがえる。「そこで、ホームレスの中でも実際にやんちゃしているのは30%くらいだってことに気が付いた。そこの施設長の方から7割くらいのホームレスは立ち直ろうとしているが仕事がない。意欲があっても仕事がないんだということを聞いた。
もしも、この施設に自立したい人間が入ってくれれば、本当に救いの一歩になるんじゃないか。だったら 我々が大人になって、ここに受け入れたらどうか、そういう話がそろそろ出てきた。だから、ここで代表ともう一人の代表代行のホームレスに対する意識が変わった」。
住民が出していた条件は、1施設の中に住民の代表を入れる、2社会福祉法人ではなく、施設の運営に市が責任を持つ、3地域のための安全・安心町作りに市が前向きになること。これに対して、市が承諾したという。
住民が得た「保障」
住民は、施設アドバイザーと呼ばれる住民代表を職員として雇うこと。施設を運営する協議会に住民が参加することの了承を取り付け、そして、「環境整備委員会」なる組織の認知を行政側に図る。「安全・安心の街作り」に寄与する委員会で、区が予算を付けて、町作りの専門家をアドバイザーとして委員会に入れた。「緊急」一時宿泊施設という性格上、5年をめどに取り壊しになる施設跡地の利用法について案を出す意向だ。
主な活動は問うと、「安全・安心街づくりに関することなら、なんでもやる」とのこと。
具体的には「例えば、防犯灯であったり、スーパー防犯灯の設置。あと、近くにある福祉センターの建て替えも老朽化が進んでいるので必要だな、と」。スーパー防犯灯とは、通常の照明機能の他に、警察に直結する監視カメラとテレビ電話、それにサイレンが搭載されたものだ。犯罪にあった場合、警察と連絡が取ることができる。また、「できたら、ドヤ(簡易宿泊街)全部撤去して、ビルにしたいんですよ。ビジネスホテル組合とか組合に入っていない人とか、まぜこぜになって簡易宿泊街が形成されているからから、ここを一気に開発するのは難しい。今まで、誰も言わなかったし、手をつけなかった。福祉センター建て替えるんだったら、そこに持っていくとか。話はけっこう積極的に出ています」。
今まで陽が当たらぬ場所だった堤根地域が開発されるチャンスかもしれない。西井氏の発言からは開発に対する並々ならぬ意気込みが読みとれてしまう。「西部町作りクラブってのがあるんですよ。10近くの町内会の連合があるんですけど、何故か、この堤根地域だけジャンプしてんだよ。日進町の町内会も入ってますよ。でも、大した活動はここではできない。(昔からのドヤ街があるなど)そういう特殊な地域だってことをみなさん知っているんですよ。そこに手を下すのは、我々整備委員会でやるしかない。一番、みんなが困っている所。でも手を下せない。そういうところでガンガン発言していく、行政にも突っかかっていくのは我々しかいない。非常に開発が遅れている地域でもあったので、それを含めてやらせて頂きたいと区長に申し上げたの」。
行政の認定を受けることで正統性を確保できた。どんな未来を思い描いているのか、彼らもまだ正確には把握していないはずだ。しかし、それを描くキャンバスを手に入れたことを快く思わないはずはない。何かが変わるかもしれない、と期待に胸を膨らましている。それは彼らの「声」がもたらした成果だろう。
差別からの旋回
「行政は環境整備委員会が出来たことで、愛生寮の施設の周りの環境が良くなったということを言いたい。そうすることで、モデルケースにしたい」。だったら、徹底的に利用してやろうと西井氏は言う。堤根とその周辺は、迷惑施設の集中的な受け入れを強いられ地域的差別を受けてきたと言っても良いだろう。その地区の発言力のない住民が、新しい施設の建設を機会にしたたかなまでに行政のアラを突き、ある種の政治力を確保するまでに至った。
もちろん、ねばり強い交渉の末に施設受け入れに至った苦労は評価されるべきだろうし、政治的争点に住民が前面に躍り出ることもまれで新しい政治の可能性を読みとることもできるだろうとは思う。そして、施設を受け入れたという結果は、やはり動かしがたく評価されるべきだと言うのもうなずける。
誰のための「保障」?
住民は行政との交渉の中から、施設運営の参加権を得た。そして、環境整備委員会という組織を作り、行政からの認知を受けた。権力との間で取り結ばれる、「支配」と「保障」の関係はここでも有効だ。その「保障」は当然、住民のためにある。
しかし、不思議な話がある。実は堤根とそれに隣接する日進町が合同で開く町内会は、第一回住民説明会が開催される以前に施設の受け入れを認めていたというのだ。これに対して「『住民』不在の決定だ」と西井氏は悪態をつく。しかし、それを許してきたのは地域住民であるという視点が西井氏にはなかった。これはミクロなレベルの民主主義の問題でもある。町内会と住民の会の反目は、今まで町内会レベルでどれだけ実質的な議論が成されていなかったかを物語る。
つまり、日進町町内会は少数意見をどう考慮してきたのかが問われる。日進町と堤根は合同で町内会を主宰しているが、堤根の人口はわずか143人、比べて日進町の人口は6705人だ。やはり問題の渦中の堤根は圧倒的に少数派だ。町内会では力を持たぬこと、もしくは無視されることを知っているからこそ、堤根住民を直接的な「再検討運動」に駆り立てたのだろうし、既存の町内会への猜疑心があるからこそ、それを乗り越えるような形で運動を展開した。つまり、既存の町内会は、住民会のメンバー達が望む「保障」を与えることができていなかった。ちなみに、住民会のメンバーは「住民」を主語に話をする場合が多い。自分達こそが地域住民を代表しているという自負があるのだろう。
しかし、一方で「地域住民の会」もどれだけ地域住民を代表しているのか測りがたいという意味では既存の町内会と変わりがない。下並木の人口は1434人 堤根の人口は143人、日進町は6705人(うち約1500名は簡易宿泊所・民間施設に寄宿する者である可能性が高い)。合計で8282人。それに対して、「下並木・堤根・日進町地域住民の会」の会員は三百余りだが、これまた同様少数派だ。施設近隣に関係者を限定したとしても、堤根地域の住民を二倍にした程度しか会員がいないことには「地域住民」の代表を名乗って良いものなのか、首を傾げざるを得ない。加えて施設が完成した後、住民の会は会員を半減させているという話もある。少数派が力を持つからこそ、下手をすれば「地域住民の会」がそうでない住民を無視してことを進めるということにも成りかねない。
また、「地域住民の会」は、施設を受け入れるという「苦渋の決断」を行った。中には被害者意識を抱いている者もいる。しかし、被害者意識は自己の主張を心理的に正当化する上で重要な役割を発揮する。今までの被害に見合うだけの対価を受けて当然とばかりに主張を展開する。怨みは力だ。しかし、度が過ぎれば、他者の意見を受け容れないような盲目的な心境になることも懸念される。
自分の要求を満たすために取り結ばれる支配と保障の関係の中で私達は、「他者」に目を向けることなどできるのだろうか。ホームレスはここでも消極的な位置づけだ。
投稿者 宮田 : 2004年12月01日 00:00