2004年12月01日
『留学生・就学生の姿に考える』近谷純子
はじめに
不思議なことになっていると思う。
インターネットが国境を越える、世界をつなぐというのは、たぶん正しいだろう。もう5年くらい前のこと、「書の作品を世界に売る」ことを思いつきサイトを開設したひとの手伝いをしたとき、なにもかもに素人っぽさがぬぐえないそのサイトに、アメリカの婦人から注文があり慌てた。クレジット決済なんてできるわけがなく、たしか海外送金をお願いした記憶がある。いったい手数料はどうしたのだったか。でも、無事に届きましたとお礼のメールを受け取った記憶はある。
そんな時代のいま、出会った韓国人の男の子が「忍者になりたかったんです」と言ったときは驚いた。だから日本に来たのだと……。彼は前座デビューしたばかりだけど、いま、K1ファイターである。
不思議だ。そしてますます分からない。世界は狭いのか広いのか。世界はひとつなのか、それともやっぱり多様で、ばらばらなのか。
まだまだ暑い夏の日だった。2004年9月10日、池袋サンシャインシティという高層ビルの一室で、「第6回日本語学校語学留学生の祭典 進学・就職・国際交流フェア」が開かれていた。圧倒的に韓国人と中国人が多い様子。欧米系の顔もちらちら混じる。出入りの多い会場ではあるが、200〜300人はいるだろう。
日本人は、運営スタッフ、日本語学校の引率スタッフ、そして「留学相談会」のコーナーにブースを設けている専門学校の説明担当者くらい。
たしかに東京の片隅にいるのだけど、まわりにひしめく大多数が留学生・就学生で、ハングルや中国語、耳慣れない日本語が飛び交う環境のなか、「私がいま、異邦人の立場やわ!」と思った。
そしてその場所で私は、世界がひとつにつながるという言質に違和感を覚えていた。ここは日本だけど、関係者以外の日本人はほとんどいない。留学生や就学生にはそれなりに楽しそうな顔を浮かべているひとも多いけれど、会場内に「日本とつながった」感じがでてこない。肩がぶつかりあうくらいの狭さの会場内で留学生と日本が混じりあえていないように思う、この感覚。というより、そもそも「一般の」日本人があまりいない。そんな、留学生と日本とが断絶している感覚が気になった。
会場におかれたパンフレットの『ご挨拶』のページに、「……日本人の皆様に、日本に興味を持って、日本が好きで、真摯に日本を学ぼうと来日している外国人がこんなに沢山いることを知っていただこうと考え、開催が決定いたしました」とあった。でも、それはたぶん成功していないなと思い、まるで水と油が分離してしまうかのような、日本のなかで日本人と外国人が混じりあわない姿がまぶたに浮かんだ。
日本がいま、拒むもの
東京・池袋のとある日本語学校に勤める日本語教師の友人が漏らした、「今年になって中国人の学生が入ってこれなくなってね、大変なの。それでいろいろあって、最近すごいストレスがたまる」という言葉がきっかけだった。
なんだか嫌な予感がした。
2003年6月に福岡で起きた、中国人留学生による強盗殺人事件の大々的な報道が頭をよぎる。あるいは、山形県の酒田短期大学が大量の中国人留学生を受け入れていたこと、さらにその学生らが不法就労に走ったことへの世論の不安、バッシングの高まりが、思い出された。
中国、ミャンマー、バングラデシュ、モンゴル。いま、これらの国から日本に存在する日本語学校へ入学するのは至難のわざだ。山のような、そしてまるで提出不可能な書類をすべて揃えて、入国管理局に提出しなければならない。たとえばそのひとつに、「経費支弁を立証する資料」がある。上記4か国の出身者は、留学にあたって十分な資金をもつことの証明として、過去3年継続して300万円以上の残高をもつ預金通帳などの写しの提出が求められるのだ。その「不可能さ」はいわずもがなで、たとえば、2003年の中国人労働者の平均月収は約1万円ともいわれる。
結果として、今年4月に日本への留学・就学を希望していた中国人に対する在留資格認定証書(ビザ)の交付率は、前年度73.9%から26.5%へ激減した。日本語学校には通常、(たとえば短期大学のように)2学年分の在籍者がいる。都内の、ある日本語学校事務所のホワイトボードには、03年度生121人という数字の下に、04年度生8人とあった。激減というにもほどのあるその数字をみて驚き、「来年もこの傾向が続くのですか。学校はどうなるのですか」と聞いたところ、学校経営者は「仕方ないよね」と笑って答えてはくれたが、内心穏やかであるはずはないだろう。
日本語学校に通う学生は「就学生」と呼ばれ、大学や専門学校に通う「留学生」とは区別されている。入国にあたって発給されるビザが「就学」、「留学」とそれぞれ違うのだ。そこには実質的な差別もある。たとえば、就学生には各種交通機関の学割が適用されない。奨学金の給付は、ほとんどない。
就学生? なにそれ。留学生と違うの? きれいごと言って、結局、不法滞在、不法就労の温床じゃないの、という声がそこここから聞こえてきそうである。だが、狡猾に就学生と呼び名をつけ、日本に迎え入れたのは、日本の政府、行政、そして社会の要請だった。
巧みな入管行政
いまから20年ほど前の1983年。
東南アジアを歴訪していた当時の中曽根総理が、元日本留学生に「今度はお子さまを日本へ留学させたいですか」と問うたところ、誰も「はい」と答えなかった。これにショックをうけた中曽根元総理が、国際公約として日本は2000年までに「留学生の10万人受け入れ」を達成すると発表した。通算で10万人ではない。単年度での10万人受け入れが目標となった。当時の留学生は約1万人、日本語就学生が約5000人。
翌1984年、法務省は就学生向けのビザ取得手続きを大幅に簡素化した。と同時に、日本経済はバブルにむかっていた。日本企業も3Kと呼ばれる職場への出稼ぎ中国人の雇用を促進。就学生ビザは時に抜け穴に使われ、日本語学校数は一時期、500校近くまで増加した。
そんななかで起きた事件として、「上海事件」があった。悪質な日本語学校が入学許可書を乱発、日本人身元保証書類も売買される。しかし結局はビザがおりず、入学金など日本語学校に前払いしたお金も返ってこない。あげく、上海の日本領事館に連日大勢が押しかけ、投石が繰り返された。その後、一部の悪質な日本語学校名は公表され、廃校となる。
しかしバブルの余韻で増え続けた就学生数は、1991〜92年には3万6000人近くにのぼった。一方で、国内の不法滞在・不法就労者数も激増し、 1994年には2万4000人を数えた。このうち、元就学生がオーバーステイ(不法滞在)となる例も増加、彼らが引き起こす刑事犯罪も増えた。
まるで一人芝居だ。ビザ取得簡素化という引き金をひいたのは、法務省だった。その同じ法務省・入管が今度は一転、1993年に不法滞在多発地域(中国・ミャンマー・バングラデシュ)から入国申請をする就学希望者に対する入国審査を、超厳格化しはじめた。
1994年以降、96年ごろまではビザ申請数に対する許可率が10〜30%に低下した。日本に行きたいと10人が書類を提出したら、そのうちの7人から9人は「不可」になるということだ。そして96年には日本語学校在籍者が1万1224人と92年当時の3分の1以下に減少、日本語学校の廃校が相次いだ。92年には463校を数えていた学校数は、98年には265校まで減った。これが以前に日本語学校が直面した「氷河期」だった。
そしていま再び、提出不可能な書類を要求することで中国をはじめとするいくつかの国からの入国を規制している。
入国を簡単に許可する。犯罪をはじめとする外国人問題が起こる。対応策として、入国を締め付ける。ほとぼりが冷めたら、また入国を許可していく……。なにを無策に同じことを繰り返しているのだろうと悲しく、情けなくなる。馬鹿じゃないかとすら思う。
いや、でももしかしたら日本の行政はやはり策士なのかもしれない。留学生と就学生とを巧みに区別する、その手段。
「留学生」と「就学生」
大学や専門学校に通う「留学生」は文部科学省管轄、日本語学校に通う「就学生」は法務省の管轄とされている。この区別こそ、くせ者である。
1989年、法務・文部・外務3省関係とする財団法人日本語教育振興協会が設立された。ビザ発給にかかわることはたしかに法務関連だが、学校事業部分はやはり文部省が担当すべきとし、結局は双方が役務を宙に放り投げたあげく、その引き受け手として設立されたものだった。取り立てていうまでもなく、省の外郭団体、ようするに(そして優先順位のあまり高くない)天下り先である。
日本語教育振興協会(日振協)は、先に書いたような上海事件などを受け、不法滞在・就労者を斡旋するような日本語学校の存在を自らが防ぐために、学校の審査・認定を目的とする。日本語学校を新たに設立する場合には、日振協の承認が必要である。さらに、日振協には3年に1度、現存の日本語学校を審査して「認定校」を決める仕組みもある。
なんだか混乱してしまい、思わず、「自分たち(日本語学校側)が、襟をただそうとして日振協をつくろうと動いたんですよね」と聞いてしまった。東京・目黒区にある日本語学校、新世界語学院の中坪禎夫理事長に日本語学校の経営について話を聞いたときのことである。思わぬ剣幕で答えが返ってきた。「そんな馬鹿なことがあるか」と。
多くの日本語学校が、加盟金30万円を払って日振協に入会している。法務・文部・外務の3省がつくった財団法人である日振協に日本語学校が加盟し、いや、加盟させられ、お互いの様子を監視する。
「自分たちで自分たちのことを審査しているようなもので、これではまともな意見をもてない。たとえば社団法人のような第三者の立場をとらないと、正しくものを言えない。実際、日本語学校は『被害者意識』を打ち出すことしかしていない。不法滞在者や犯罪者が自分の学校から出たのは『不運だった』の一言で済ませ、このままでは日本語学校はつぶれてしまうと、窮状を訴えるばかりだ」と中坪は言う。
日本語学校は手かせ足かせをはめられたかのような状態なのかもしれない。
中坪は1993年に「日本語学校改造計画 私案&試案」と題する提案書を作成し、文部省の役人や同業の日本語学校経営者たちに配った。いかに行政指導のなかでしか日本語学校が運営できないか、たとえば「日本語学校が発行する入学許可書はまったくの紙切れであり、……学生が日本に来れるかどうかは、入学する学校が決めるのではなく、地方入国管理局が決定するのである」と指摘、今後は「民間に大幅に権限を委譲」「現在地方管理局が行っている、在留資格認定の審査の実権を各日本語学校に任せること」「行政に責任を追及するのではなく」、日本語学校が結果(たとえば不法滞在者の問題)に責任をもつことを提案している。
それから10年以上が過ぎたが、状況が大幅に改善されたとはけっして言えない。前述のように、今年、中国人入学予定者にまったくビザがおりず、大量の日本語教師がリストラにあった。いまなお、日本語学校は入管行政に翻弄されている。
日本語学校、そしてそこに在籍する就学生は、行政にとって「目の上のたんこぶ」扱いなのだ。行政は日本語学校の問題に本気で取り組んでいない。日本語学校はつぶれたってかまわない、むしろなくなったほうが好都合だと、公然とは言われないが、そう思われていることを当事者たちは感じている。
中曽根元総理が打ち出した「留学生受け入れ10万人計画」は2003年に達成されたと、文部科学省が発表した。国際公約には一応の形がついた。
その実態はどうだったか。「留学生」10万人のうち約9万人は、「就学生」として日本に入国、日本語学校の卒業を経て大学や専門学校へと進んだ、つまり「就学生」あがりの「留学生」である(『AIKレポート』2004年6月号参照)。
しかしなお、「留学生」「就学生」は区別され続けている。「日本語学校の存在意義ももはやこれまでか」という危機感を日本語学校関係者は感じている。結局のところ文部科学省は自分の管轄内の大学や専門学校のみを気にかける。そこに留学生が存在すればそれでよい。本当は大学がもっと積極的に海外に出向き、留学生を集めればよいと思っている。そうすれば、これまで多かった「就学生」経由ではない留学生が揃う、と。
就学生は国際公約にむけた人数合わせのためだったとでも言うつもりだろうか。
5%、3%
通称5%条項と呼ばれるものがある。「就学生」ビザが切れて不法滞在となった者がどの日本語学校に在籍していたかをチェック、一定期間内に何人の不法滞在者が出たかを学校ごとに調べる。
たとえば学生数200人の学校ならば、この学校から出た不法滞在者数が10人以下の場合。このように不法滞在者の数を学生数の5%以下に抑えられた学校は、入管の審査で優遇される。これらの学校に入学が許可された学生は、入国審査を簡便にパスすることができるのだ。「就学」ビザも1年のビザがおりる。対して、5%条項をクリアできない学校の学生には、半年分しかおりない。
しかし昨秋、中国人などに対してこの5%条項が突然、日本語学校への事前通達もなく適用されなくなった。たとえ5%条項をクリアしている学校への入学予定者であっても、それが中国人となるとビザがおりなくなった。
日本語学校は大騒ぎとなったが、結局、あらたに「3%条項」が出されたことで事態が落ち着いた。5%では甘い、不法滞在者輩出を学生数の3%以下に抑えられたなら、と、より厳しい数字が設定されたのだ。厳しいが、決まったのだからもうやるしかないと、中坪は一定の評価をし、「うちは来年度から大卒以上、高卒の場合は日本語検定試験4級以上をもっているひとのみを対象に学生を募集する。しばらくは(集まる学生数が少なく)厳しくなるだろうが、長い目で考えれば3%条項をクリアし続ける学校という評価を得て生き残っていくしかない」と考えている。
日本語学校について話を聞いたり、調べたりしていると、いたるところに「不法滞在」「オーバーステイ」という言葉がでてきて、しだいにこれらの言葉に対する感覚がマヒしてくる。中坪の学校では、10年ほど前のある年、入学したミャンマー人17人が見事に全員、不法滞在となってしまった。もう2度とミャンマー人を受け入れることはしない、という。
5%、3%という数字は、確かに厳しいように思える。しかし、学生が200人いたとして5%で10人、3%で6人。不法滞在という「立派な」違法者の数としては、本来はむしろ「多いな」と感じてよいはずの数字ではないか。
就学生とオーバーステイ(不法滞在)との関係が気になる。
日本、自力で稼げる国
大学時代、授業中にこんな質問をされたことがある。「あなたはいま、ミャンマーに生まれ育った。大学を出て、医者になった。あるいは働いている。それを数年間中断して日本に行き、時には違法を覚悟で働くと数年で(日本での通貨価値に換算して考えると)数億円相当が貯められる。仕事は皿洗いやウエイター。生命が危険にさらされる類の仕事ではない。あなたは日本へ行きますか?」
少しのあいだ考え、「行く」という答えに手を挙げた。自国ではなく他国で、しかも勉強してきたこととは関係のない、いわば単調な仕事でそれだけのお金が稼げることにむなしさも感じたけれど、それも数年の我慢だと思った。
まず一般には軍事政権、軟禁されているアウンサン・スーチー女史といったキーワードしか浮かばないだろう国。そんなミャンマーから日本へ来る人たちがいる。ミャンマーの医師が日本で皿洗いをして数億を稼ぐ。
中国人にとって、日本は留学希望先の第1位ではない。一番の人気は欧米英語圏だ。日本語学校で勉強していてなお、「英語の専門学校に行きたい」と言い出す学生もいるという。しかし英語圏への留学は本当に一部の富裕層に限られている。日本よりも一層厳しい入国基準、高い学費がそうさせている。
対して日本は、「自力で学費を稼いで大学に行ける」国だと認識されているというのだ。
実際に日本へ留学する学生が途切れない現実、それはやはり中国やその他の国内で、「日本留学成功例」が見聞きされているからだと思う。日本ではたしかにお金を貯めるためのアルバイトができる。禁止事項はある。たとえば風俗はだめ、パチンコ、風俗のティッシュ配りもだめ、ラブホテルの掃除もだめ。
とはいえ、ぎりぎりの線で働く学生はもちろんいる。日本語教師の友人は「わたしの仕事はだいじょうぶですか(摘発されないですか)」と聞かれ、「『ミラーボールがまわってるお店だった? なかったら、たぶん大丈夫だよ』と答えてしまったわ」という。
そんなアルバイトについて、学校では日本語教師が頭を抱えている。ホームルームではことあるごとに、「アルバイトで忙しいから勉強できない、は言い訳にならないんだよ。(大学に行くための)学費を貯めるために勉強ができなくなったら、進学できない。元も子もないよ」と繰り返す。「でもね、学生は『そんなことわかってるよ』ってしらけた顔しかしないよね」。
半年あるいは1年ごとのビザの更新には現在、日本語学校の出席率80%以上が条件になっている。月に20日授業があると仮定して、休めるのは4回。教員はことあるごとに確認の電話を入れ、掲示板には出席状況の紙を貼り出し、出席率があぶない学生の名前には要注意のアンダーラインが蛍光ペンで引かれ、60%を切ればその横には「退学勧告」の文字すら加えられる。いたちごっこみたいだけど、学生が生活に必死ならば、教師や学校側もまた、やる気をもってほしい、勉強してほしい、という気持ちがあればこその対応ではある。
「でもね、この子はだいじょうぶだっていう思い込みがだめなときもあった」という。
国立大学を目指すほどに優秀で日本語学校の授業でも頑張っている中国人の女子生徒がいた。その子が売春で、摘発された。勉強したい、だけど進学のための学費がいる。そのために一番短時間で一番高い収入が得られるものが、売春だった。彼女は留置所に入れられたが、罰金を払ったので強制退去にはならず、学校側とも話し合って引き続き日本語学校で勉強することができるようになった。しかし学校内で噂がひろがり、彼女は最終的に同胞のなかでも居場所を失って、帰国した。
「できる子ほど要注意、というパターンだった」と日本語教師はそのときを思い出して言った。
入国時に残高300万円の預金通帳の写しが求められているはずの事実が、むなしく霞む。
自らが意図するかしないかにかかわらず、日本は外国人、特にアジアから常に目を向けられているのだ。日本は稼げる国だ、と。どうしたって否定のしようがない。日本はGDP 世界第2位の経済大国。オーバーステイをはじめとする外国人問題は、あるいは自分たちが吸い寄せているのかもしれない。
日本の経済があまりにも成長してしまった。そこに経済格差が生み出され、特にアジア諸国からは距離の近さもあって、日本へ向かう人たちがでてくる。
不法滞在になってしまうひとたちは、捕まるまでいる、というスタンスであることがある。捕まったら強制退去、日本への再上陸は5年間禁止などの措置。でもそんなこと平気だ。もう二度と戻ってこれなくてもいいのだから。それまでに稼げればいいのだから。
日本はもう戻れなくてもいい国。そうやって立つ鳥はあとをにごす。
そして日本はただただイライラしている。
ひとのふりみて……
「東京エイリアンアイズ」という名のNPO団体がある。なんて味のあるネーミングなんだろうと思う。東京の、エイリアン(外国人ということだ!)のeyes、目。
東京・文京区に事務所を置く、このNPO法人東京エイリアンアイズ代表・高野文生が言う。「日本は本当はかなりの福祉国家なんですよ。でもそれが外国籍相手になった途端になくなる。バザッと国籍だけで切ってしまう。同じ市民だという感覚がない」。
留学生や就学生は日本で生活して、日本にお金をおとしている存在(つまり、消費税をはじめとする税金を彼らも負担している)なのに、逆に彼らに対しては税金がほとんどかけられていない。
東京エイリアンアイズは、留学生や就学生がぶつかる障壁のひとつひとつを当事者の目で感じて、活動してきた。だから、活動も多岐にわたっている。
たとえば、「日本語学校満足度調査」。そういえばこれだけランキング好きの日本にあって、これまで当事者(就学生)自身が日本語学校を評価した結果が存在しなかった。評価のしようがなかったといえるかもしれない。
そもそも学生は、日本に来る前に大概の場合エージェントを通じていずれかの学校に入学を申し込み、日本語学校の入学許可書をもらう。それを手に、入国申請を行う。
さらに、就学生には転校の自由がない。本人の希望や意志のみではなく、籍を置いている学校の同意がないかぎり、新しい学校へ自由に転校できない。たとえどんなに学校側に問題があるとしてもだ(授業がまともに行われないとか、先生が無能だとか)。
だから、たとえ学生が日本語学校を評価してランク付けが行ったとしても、すでに日本語学校生である者にとっては、それを活用する機会がないのだ。
でも反響はあった。日本語学校そのものから、評価を気にする声がでた。妨害も、あった。日本語教師にとっては、別の学校への転職を考える際の参考となった。いつかは、当事者にとっても使い物になる、ようするに留学や就学予定者が日本へ来る前の検討材料とできるくらいに広まればいいと考えている。
たとえば、「留学生にやさしい不動産」。あるいは「保証人ボランティア紹介」。これは部屋探しの問題である。都内不動産屋のまず9割が外国人相手には部屋を貸さないという。さらに残りの1割も、保証人、日本人の保証人を必要とする。
東京エイリアンアイズの高野は、1999年にこの団体を立ち上げる前は個人で、立ち上げてから以降は東京エイリアンアイズという団体として、保証人をつとめてきた。2001年にその通算が300件近くになったところで、事故率は100分の1。つまり、100人にひとりの割合で家賃滞納・失踪が起き、その金額は60万円程度だとわかったという。
最初に聞いたとき、そんなに少ないのか、というのが正直な感想だった。比較することではないかもしれない。でも、消費者金融の無人機がこれだけはびこる日本で、借金をつくって逃げて、ということがもはやどれだけ珍しくないことか。私の父は大阪で新聞販売店を経営しているが、事実、従業員に店の売上金を持って逃げられたことは一度ではない。
そして東京エイリアンアイズはこの事故率をもとに計算、保険会社の災害保険や生命保険掛け金のような仕組みを利用して、留学生・就学生から「デポジット(預かり金)」を預かり、保証人ボランティアを紹介するサービスを展開している。
ここにも留学生に気づかされたヒントがあったという。
中国人留学生が部屋を借りようとしたときにどうしても日本人の保証人が見つからず、それをみた家主が「ならば、敷金を1か月分上乗せさせてもらう。そうすれば保証人はいらない」ということになった。本来なら無用なお金だ。留学生は渋ると思った。
だが、家賃1か月分という金額で解決するならば、敷金の上乗せは非常に納得できることだと、その中国人留学生は答えた。高野にとってもこれは意外だった。日本で部屋を借りるための越えなければならないシステムを目の前にして、それが妥当な金額を払えばクリアできる問題ならば、留学生は余分なお金も支払うというのだ。
当事者じゃなければ分からない問題なんて山ほどある。
だったら、当事者に習えばいい。
1999年に東京エイリアンアイズを結成し丸5年以上がたついま、さらに高野は言う。「これまでは、『留学生は弱い存在。何の助けもない。こうしてくれ、ああしてくれ』とばかり訴えてきた。でもこれからは、留学生はこんなことができる、あんなこともできる、という方向づけもしていきたい」。東京エイリアンアイズから届くメルマガには、種々の催しでボランティアを行う留学生を募集する内容の文面がある。
……我がふりなおせ
振り返って考えるべくは自分たちの姿だと思う。
東京に住み始めたとき、どこにいっても外国人が多いことにびっくりした。そこここで、「外国人がいる」という感覚があった。生まれ育った大阪は日本で第二の大都市だと信じていたけど、電車のなかで外国人を見かければなんだかどきどきしてしまって、ちらちらと様子をうかがっては「困っていたら話しかけるべきか。英語で話すべきか。いや日本語ができるかもしれないし」などと、ひとりで考えては疲れていた。
でも、東京にはこんなに外国人が多いのに、まわりはいたってクールにみえる。たとえば顔や姿から明らかにガイジンと分かる、あるいは中国語や韓国語でわいわい話すグループがいても、特にそのまわりで空気が緊張している感じはしない。
「さすが東京のひとは違う。当たり前に感じるんやな」と当初は素直に感心していた。でも東京に来て3年が過ぎたいまは思う。これは、無関心を装っているのか、あるいはわざと「無視」している状態かのどちらかであると。
もう鎖国などできる時代ではない。日本には資源だってほとんどない。たとえばマレーシアとシンガポールは、マレーシアからシンガポールへは水の供給パイプラインをひき、逆にシンガポールからマレーシアへは電力供給を行うことで、どちらがどちらを止めても、止められても、死活問題となる緊張関係を保っている。
日本も、食糧や石油など、ようするに生きていくのに必要な物資を他国に依存している。「外国」に無関心でなどいられるはずがない。他国の存在を実感し、自分たちの置かれている位置を意識し、そして緊張するべきなのだ。
在日外国人とひとくちに語るのはつくづくナンセンスだと思うほどに、さまざまなひとがいる。「親が日本に行ってこいというから」日本に来て勉強しているという中国人の話を聞いたとき、正直言って私の頭のなかにはエラーメッセージがでた。だって中国といえば、しかも親世代ならばなおさら、反日感情をもつ国のはず。なのに日本に行くことを勧めるなんて……。
外国人と接する日本人もさまざまだ。留学したことがあるとかないとか、だから英語(やその他の言語)ができるとか、できないとか。地域差もあるだろう。外国人がまわりにたくさんいるひともいれば、それこそエイリアン並みに外国人とは出会わないところだってあるかもしれない。
でもだからこそ、中国人だから、ミャンマー人だから、バングラデシュ人だから、モンゴル人だから、ビザの期限が切れたら不法滞在するだろうという理屈を通すようなことはしたくないと思う。まったく顔を見ないで、国名だけで、そんなこと言いたくない。
結局のところは日本人ひとりひとりが、日本に外国人がいることをどう思っているかが問われる問題なのだと思う。心の底から外国人、特に中国をはじめとしたアジア系外国人の存在を「普通」だと考えているか。別に日本語を勉強する必要なんてないんじゃないか、世界の共通語は英語なのだから、日本語を勉強したって大変なだけなのに、と思うことはないか。
国も行政も、少なくともある程度は国民の意識を下敷きに動いている。
中国に2年間の留学経験がある友人が言う。「私は中国に友達もいっぱいいるし、なにより中国が好き。なのにこの前、引越しを考えて不動産屋で話をしていたら『このへんは中国人が多いからあまり治安がよくないよ』と言われて、一瞬そんなものかな、と思ってしまった」と。
ひとりひとりは弱いから、簡単に丸めこまれてしまうかもしれないけれど、でも逆に、ひとりひとりの積み重ねである以外に、国は成立しない。
おわりに
東京にある品川駅からバスに乗り継ぎ、入管へ行った。昔は、どぶ川を渡らないと行けないところ、と言われたところだった。一時、大手町に移っていたが、暗く、こどもの泣き叫ぶ声が廊下にひびくような場所だった。いまは品川駅からバスに乗っていくと、新しい大きな建物が立っている。中に入る。たくさんの申請書類が置いてある。待合のイスはぎっしりと埋まっていて、番号と名前が呼ばれるのを待っている。
1階でも2階でもやたらと目につくポスターがあった。「強盗殺人容疑で下記を探しています。中国人の2人組。やせ型。…… 連絡は下連雀警察署まで」。街中では一度もみたことのないものだった。日本人にはほとんど用のない入管という場所で何枚も貼られている黄色地に写真が載った派手なポスターに、これは見せしめだなと思う。
再びバスに乗り、品川駅に戻る。入管から出たバスには日本人らしき姿は少なく、圧倒的に入管で用事を済ませた外国人が多く乗り合う。入管前で配られていた、国際テレフォンカードの説明書にじっと目をおとす人。カップルで座っている人たちもほとんど言葉を交わさない。肘をついて、窓の外をじっと眺める人がいる。東京の港湾で、物流の倉庫や流通センター、工場の景色が続く。「水際で上陸を阻止」ということばが頭に浮かんで仕方がなかった。
品川駅になかなか着かない。入管で感じた緊張した気持ちが抜けないままに15分もバスに揺られ、港湾の風景を見続けるうち、ああここは異国だと、そう強く思った。
投稿者 近谷 : 2004年12月01日 00:00