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2005年02月25日

『火星人の見た出版』大隅亮

 ぼくは火星人なのだけど、そんなことはどうだっていい。とある事情——と言っても恋人と別れて火星に居づらくなっただけなのだけど——で半年前に地球に遊びにきた。たまたま着陸したところが日本の編集プロダクションだったというだけで特に他意はなかった。本当だよ、まったくの偶然からぼくは日本の出版業界の観察をはじめたんだ。

--以下本編--

「火星人の見た出版」

 序 章 人間には言語がある
 第一章 火星人の見た出版
 第二章 地球を救うコンテンツ主義
 第三章 電子書籍との全面戦争は近いのか

序 章 人間には言語がある

 今、僕は語ろうと思う。(…)弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。付け加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。——村上春樹『風の歌を聴け』

 ぼくは火星人なのだけど、そんなことはどうだっていい。とある事情——と言っても恋人と別れて火星に居づらくなっただけなのだけど——で半年前に地球に遊びにきた。たまたま着陸したところが日本の編集プロダクションだったというだけで特に他意はなかった。本当だよ、まったくの偶然からぼくは日本の出版業界の観察をはじめたんだ。
 ところで地球人の特徴について地球のみなさんはどうお考えだろう。何があなたたちを他の惑星の住民たちと隔てているのか。なかなかご自身では気づきにくいだろうから教えてあげよう。それは言語活動だ。「鳥に羽があるように人間には言語がある」ってわけ。ごめん、実はこの文句は受け売りの言葉なんだ。一緒に宇宙船に乗ってやって来た火星人が教えてくれた。そいつはえらく賢いやつでノーム・チョムスキー君っていうんだけど、彼は日本ではなくてアメリカに着陸して政治とかメディアとかテロ戦争について観察をしていたよ。そのへんの経緯については彼の書いた報告書『メディア・コントロール—正義なき民主主義と国際社会』(2003年・集英社新書)に詳しく描かれているから気になったら読んでみてね。おっと、話がそれてしまった。確認しておくと地球人にとって言語というものは非常に大切なものなんだ。そいつを絶対に忘れてはいけない。
 いま日本の出版業界はちょっと危ない状況にある。これが何を意味するかもう分かってもらえたと思う。「言論活動が危ない」ということに他ならないんだ。なにインターネットがあるって? 馬鹿を言っちゃいけない。インターネットと書籍はまったくの別物だ。この話はおいおいしていこう。広い意味では中国で羊皮紙が発明されてから、狭い意味では西暦1445年ごろにドイツでグーテンベルクが活版印刷機を発明してからというもの、ずっと本は言論活動の中心にあった。そしていまでもそれは続いている。じゃなかったら自由主義の国で「再販売価格維持制度」なんてものがあるわけないじゃない。
 ここでちょっと退屈かもしれないけど火星人向けに説明させてほしい。再販売価格維持制度(通称、再販制度)というのは端的に言って定価のことだ。日本では他のどんなものも自由な価格で売っているのに、出版物だけが定価で販売されている。これにはぼくも驚いたね。地球で暮らすにあたって家具はドン・キホーテで、服は正月のバーゲンセールで安く買いたたいたのに、本だけはちっとも値引きしてくれなかった。本屋がポイント制度をやることだって禁止されてるんだぜ。でもどうして本だけが特別扱いされているのか公正取引委員会さんに聞いてみた。

 「一国の文化の普及など文化水準の維持を図っていく上で不可欠な多種類の書籍等が同一の価格で全国的に広範に普及される体制を維持するため、例外的に再販を認めるものである。」(1991年「政府規制等と競争政策に関する研究会報告」173p)

 ちょっと難しいから簡単に説明するね。まず一つめの意味が、ある本がたくさん売れる都会では1000円で、あまり売れない田舎では2000円などという状況になったら、田舎の人は本を買わなくなって頭が悪くなっちゃう状況を防ぐということ。そして二つめの意味が多様な文化を認めるということ。二つめは自由価格制度を敷いている他の国と比べるとすごく分かりやすい。たとえばアメリカというと多様な人種がいて、自由市場のイメージから出版点数も多いような気がするけど、とんでもない。人口は日本の二倍なのに出版点数は日本とほとんど変わらないか日本の方が多いくらいなんだ(アメリカは1980年代から2000年にかけて平均6万点を推移している。日本はここ数年ずっと増加傾向で現在はアメリカより多い)。
 ところで出版って、みなさんが想像しているよりもずっとずっと小さな市場なんだ。全国に4500社もあると言われている出版社の売り上げをみんな足してもKDDIやキヤノンの単独売り上げと同じくらいにしかならないんだな。具体的には2.3兆円程度ね。これを知ってぼくは本当に驚いた。講談社も小学館も集英社も岩波書店もお兄さんもお姉さんもお隣さんもぜーんぶ足しても他の一つの会社と同じくらいしか売り上げがないなんて。ちょっと信じがたいな。
 それとたまに出版をマス・メディアと思っている地球人がいるけど、なにを見ている!  本は100万部売れたら大ベストセラーとして国民栄誉賞的な扱いを受けているけど、テレビの視聴率に換算したらたったの0.75%だぜ。下の数字を見たら気絶しちゃうんじゃないかな。

1 2月6日 義経(NHK総合)26.9%
2 2月5日 ごくせん(日本テレビ)25.4%
3 2月6日 笑点(日本テレビ)24.2%
4 2月6日 ニュース・気象情報 (NHK総合)22.5%
5 2月6日 行列のできる法律相談所(日本テレビ)21.3%

 どう、気絶しなかった? とにかく出版っていうのはとても小さなメディアなんだ。ところでこの1分間、出版について悪い話ばかりしてしまった。気を悪くしてしまったなら謝るね。でもこれだけは断言できる。ぼくは出版が心の底から大好きなんだ。けれど、恋の盲目に負けてはいけない。好きなこととひいき目で見ることは別のことだ。出版のことを本当に想うなら、よりいっそう冷静な目で見て、ラディカルに考えないといけないとぼくは思う。

 ちょっとばたばたしてきてしまったけど、もう一度話を本線に戻そう。とても小さな市場である出版を国が例外を定めてまでも守ろうとする理由、それは出版が言論においてとても大切だからだ。出版が崩壊してしまったら、すごい損失になることを地球の人たちにはもっと自覚してほしい。だからぼくはこのルポルタージュで、いま出版業界がどのような状態にあるのかを書いていく。そのあとで火星人なりの感想なり今後役に立ちそうな方針なりを示してみようと思う。そんなわけでこれは火星人に向けて書かれた報告書であると同時に、地球人——とりわけ出版業界の人たち——に向けた警鐘でもあるんだ。
 そしてこのルポルタージュは火星人によって書かれたことがとても意義深いはずだ。正直な話、地球に到着したときのぼくはまったくの無知だった。多くの大学生が社会について知らないようにぼくも真っ白な状態だった。でもそこんとこがポイントなんだ。地球人というものはそれぞれの立場を背負って暮らしている。たとえば編集者さんには編集者さんの、ライターさんにはライターさんの「出版」がある。それらは多かれ少なかれ着色されてしまっているんだ。極端な話、独りよがりといってもいいかもしれない。中立な視点で全体を見ることができる人間なんて、その人の生活を負っている以上あり得ないと思う。
 もうひとつの強みはぼくが本だけでなく他のメディアとも仲が良かったこと。ぼくは火星のジャーナリストコースに通っている(まあ、前期課題を出さなかったりなんなりで、胸を張って「通っている」なんて言えたもんじゃないけど)。そこでさまざまなメディアについて考える機会を得た。これはちょっとした強みなんじゃないかな。出版業界だけじゃなくて他の業界もそうなんだけど、普通はみんな自分の扱うメディアのことしか考えていない。だって出版に一生懸命になることが美徳(というか会社での評価)なのだから。出版社に入って教えられるのは編集だったり営業だったり取次の仕組みだったりで、ブログの設置方法だったり映像メディアの編集なんかは教えてくれない。この中でブログをいじれる人がどれだけいるだろうか。電子書籍を実際に使ってみた人は? ビデオクリップを作った人は? でもそれって若い人の仕事なんだと思う。新しい技術が出てきたときにリスクなんて考えずに飛び込んでみる無謀さ。それは若い脳みそにしか宿らない。サルの場合もそうらしいよ、年を取ると脳みそは保守化するんだって。確かにそうだよね、出版社に入ったら出版を極めるのが仕事だ。
 ところでこのことを強く意識したのは2004年12月8日に嶌村忍さんという共同印刷の人に会ったのがきっかけだ。この人はすごく広い視点でぼくに話をしてくれた。ブログも電子書籍もコンビニもクラブも、いろいろと出版に結びつけて考えていることがわかって、ぼくは衝撃を受けた。なぜ出版業界にあってあらゆるメディアの話を持ち出せたかというと、広告代理店に出向していたことが確実に影響しているはずだ。これにはぼくも広い視点を持たないといけないと痛感したよ。
 以上のふたつの理由から、このルポルタージュは「深くはないけど冷静な視点」を獲得しているはずだ。バランスと言い換えても良い。だからちょっとだけ立ち止まってこの火星人のルポルタージュに耳を貸してほしい。

第一章 火星人の見た出版

 明るい未来ってなんだっけ?——Mr.Children「Everybody goes」

 まず出版についてごく単純なところから話をはじめよう。出版社(1)というのは本をつくる会社のことだ。たまに編集プロダクション(2)というところに編集を外注をする。編集者さん(3)が著者(4)に原稿を書いてもらうことで本はできあがる。ノリスケさんがイササカ先生の原稿を待つシーンをぼくは地球で何度か目撃している。できあがった本を全国に届けるのが取次(5)という会社の役目だ。取次さんは過去のデータや経験から出版社のつくった本がどれくらい売れるか予測して、どれくらいを本屋さん(6)に送るか決める。でもって書店の良い位置に本を置いてもらうように出版社の営業さんは書店をまわったり、FAXを送ったりする。そして書店を訪れて本を買う人のことを読者(7)という。本当は「買う人」と「読む人」は違うんだけど通常は同じ意味で考えられているね。
 さてそれぞれの領域ではどのようなことが起きているのだろうか。これから順にみていくね。この章は自分で言うのもなんだけど退屈だ。でも第二章のどんでん返しのための準備だと思ってこの火星人の仕打ちに耐えてほしい。

 (1)出版社の現状は「自転車操業」だ。日本語を知らない火星人のために解説しておくと、自転車のように軽々と風を切って操業していることではない。この言葉は「援助交際」と同じで、悪い意味内容を希薄化してしまっている。実際には「ネガティブ・スパイラル」、どんどん悪い方向に向かっていることを表す言葉だ。
 なんと、本を作れば簡単にお金が手に入る。たとえば出版社が取次に2000円の本を5000部入れたとする。取り次ぎ仕入れ正味とよばれる卸率が70%の場合、700万円の売り上げになる。ここで面白いのが売れた数だけお金が入るのではなくて、印刷した分だけお金が入るってこと。しかし地球はそんなに甘い世界じゃない。平均返品率が40%という現在では700万は「虚」の金なのだ。返品されてきた本の代金を取次に支払うための現金が必要になる。仮に40%が返本されたら280万円だ。
 ここでお金があればいいけど、不況の今、なかなかキャッシュで支払うわけにはいかない。お金をつくるために、また新しい本を出さなくてはならなくなる。「返本の前に新しい本を出す」ことが習慣になり出版点数が増えていく。これが自転車操業というやつだ。ああ恐ろしい。
 取次出身で出版業界に詳しい山本隆樹さんに、今後の出版社の動向を伺ったところ「後三年で出版不況も止まる」のではないかと前置きした上で、「現在の4500社から半減して2000社程度になる」可能性もあると指摘した。また東京大学出版会の竹中英俊編集局長も同様に、2000社になるのではないかと指摘した。この一致は偶然ではないだろう。出版に携わる人間の実感として2000社という数字は現実味を帯びたものなのだ。どこそこが危ないという噂話がどこに行ってもささやかれている状態、これが出版社の現状なんだ。

 (2)編集プロダクションは基本的には出版社の下請けだ。だから出版社が苦しくなると必然的に経営が悪化する。これは構造上の問題だ。ところでぼくが大学生のふりをしてインターンしていたのも天才工場(http://tensaikojo.com)という編集プロダクションだ。ここは基本的にすべての編集作業を外注する特殊な仕組みを採用している。今風に言えばアウトソーシング。ここにいて一番困っているのはライターさんやデザイナーさんだということが実感できた。昔に比べて仕事の単価が安くなっているという話はよく聞いたし、出版社の不払いも目にしたことがある。不景気のあおりが下へ下へとしわ寄せされていって、実際にものをつくる人たちが締め付けられているのは間違っているよ。編集者、ライター、デザイナー、イラストレーターなんて言ったら子どものなりたい職業の花形なんだろうけど、実際はとても厳しい状況にあるんだ。

 (3)出版社の「自転車」に乗せられた編集者は、とにかく本を作れとノルマを課される。たとえば「今年中に5冊つくることがノルマだ」と。そのような状態で著者への高品質のサービスが保てるはずがない。ある出版社の編集者も「今年中に出版点数を稼ぎたいからこの企画を採用する」というようなことを言っていた。
 ところで編集者とはどのような職業か考えたとき、出版点数が増えることの意味がどれほど大きいか想像することができる。この数字の推移をみてほしい。

「出版点数の推移」

1992年 42,257点
1993年 45,799点
1994年 48,824点
1995年 61,302点
1996年 63,054点
1997年 65,438点
1998年 65,513点
1999年 65,026点
2000年 67,522点
2001年 69,003点
2002年 72,055点
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2003年 74,259点(*)
2004年 75,530点(*)

社団法人日本書籍出版協会『出版営業入門』(2003年・同出版協会)より
(*)2003年・2004年は出版ニュース社「出版年鑑」による。前出の資料とは若干算出方法が異なるようなので接続はしない。

 このようになんと十年間で1.7倍にもふくれあがっている。十年ぶりに開かれた同窓会で42kgだった体重が72kgになった友人を目撃した周りのリアクションを想像してほしい。そしてこれは断言できるのだが、この体重の増加は「幸せ太り」ではない。どちらかというと水太りに近い惨劇なのだ。出版点数の体重は増えたかもしれないけど、編集者の体重は確実に落ちているはず。なにせ(給料はそのままに)十年前の二倍近くの本を制作しなければならないんだ。編集者の仕事は「遊び」だとぼくは思っている。遊びと言っても夜の銀座でお金を使うことではなくて、社会への洞察や教養的な意味での「遊び」だ。たとえば新人の作家の文体がイギリスのだれだれに似ているだとかは幅広い読書経験のたまものだし、流行を見きわめるためには消費の前線に立っていないといけない。
 編集を労働とみなすか遊びとみなすかは、プロダクトにも大きな影響を与えることだろう。歴史を振り返ってみると「暇」こそが文化を生み出してきたのだ。奴隷制のうえに古代ヨーロッパ文明はあり得たし、貴族がパトロンとなったからこそ古典音楽は完成された。遊び心がないプロダクトに消費者は魅力を感じないと思うよ。

 (4)著者にとって出版点数が増えたことは執筆機会が増えることを意味するだろう。けれど全体の売り上げはむしろ下がっているのだから印税収入は減っている。もし最近の出版物の質が落ちたという噂が本当なら、これが原因となっているのかもしれない。イササカ先生も悠長にカツオ君と将棋を指している場合ではない。次から次に書かないと収入は減っていくのだ。

 (5)取次についての愚痴を言う人は本当に多い。取次のせいで出版はだめになったとさえ言われることもままある。しかし取次は工夫がしにくい分野なんだ。基本的にすることは「配本」だ。コンテンツの出版社や小売りの書店には工夫するところが多く存在するけれど、インフラ産業の場合やるべきことは合理化くらいなもの。
 そして最大の問題は会社の大きさ。JR御茶ノ水駅を出てすぐに、大きなビルがそびえ立つ。それが業界大手の取次、日本出版販売の本社だ。あそこの社食の寿司は美味しいんだよねえ、ってそうじゃなくて、とても大きな会社なのだ。物流の合理化を進めた結果として、城のように大きな取次が出現し、その大きさ故に身動きがとれなくなる。残念ながら動く城はハウルのものくらいで、現実に動いた城はありません。
 実はこの「大きさ」は出版社でも同じことが言える。本のように多種類の品物を少数売る商売では、大手ほど現状のシステムを変えにくい。たとえばMP3プレーヤーなんかは少ない品物を大量に売っている例のひとつ。そこと比べてみよう。アップル社は業界で圧倒的なシェアを誇っているけれど、実際のところ細かいバージョンはあるにせよ、iPodとiPod mini とiPod PhotoとiPod Shuffleしか出していない。こういう商売の仕方だと柔軟に変更に対応できる。もし消費税が5%から7%に引き上げられたとしよう。アップル社はたった4つの商品のバーコードを変更すれば対応できるけど、講談社は数千点という本の表紙を付け替えて、POSのデータを差し替えて……、なんて天文学的な面倒を強いられる。だから出版社は、特に大手は、なかなか面舵をきることができないんだ。おそらく本の多様性が出版業界を保守的にしてしまっているのだとぼくは思うな。
 
 (6)書店の不幸は出版点数の増加からもたらされていそうだ。最も被害を被っているのは小さな書店、おじさんとおばさんが経営しているような書店。とにかく出版点数だけは毎年増え続けている。しかし書店の面積は増えはしない。これが不幸を招いた。
 たとえば昔は総体で100の本が出版され、ある小さな書店では50の本を取り扱っていたとする。売れ筋の50を仕入れているこの書店に行けば、消費者はだいたい目当ての本に巡り会えていた。しかし毎年出版点数が増え、出版の総体が200になったとしよう。この場合でもその書店に置ける本は50のままだから、50/200となってしまう。消費者はその書店に行っても目当ての本が見つけられないことが増えていく。このような経験が積み重なって、消費者は徐々に郊外の大型書店に足を運ぶようになる。もしくはインターネットで注文するようになる。簡略化すると以上の道をたどって小さな書店は消えていくのだ。山本隆樹氏によれば「現在書店は18300店舗あるが、15000店になる日も近い」という。さようなら3300人の店長。

 (7)読者の現状はこうだ。出版点数が増えたことは選べる本が増えたことを意味しているように思えるけど、実際はそうじゃない。だって週に1400冊、月に6000冊の本が出てきたところでそのすべてを読めるわけじゃないでしょ。このくらい大量に商品が出てくると消費者——あなたのことだ——は何かの賞に輝いたり特別なキャンペーンがされてマスコミに露出した本を買うようになる。必然的に。ほらあなたが記憶している本と言ったら大手広告代理店が大々的に広告した『世界の中心で、愛を叫ぶ』とか『Good Luck』くらいなものなはず。著者で言ったら最近は綿矢りさくらいしか、あなたのあたまにはインストールされてこなかったはずだ。
 本当はもっとたくさん本が出ていて、たくさんの著者が存在しているのに、地球人が知りうる本や著者は他の地球人に意図されたものだけなんだ。これがジャーナリズムにとってどれくらい危険か考えてほしい。大手広告代理店が「これ」と決めた本の論調が、または大手出版社が「これ」と決めた著者の思想が、読者に有無をいわさずなだれ込んでくる。あなたたちはよく、ぼくのような宇宙人にさらわれて「洗脳された!」なんて騒ぐけど本当は知らないうちに世にも恐ろしい見えない怪物に踊らされているんだぜ。

 これまで読んでくれて本当にありがとう。いま出版界で何が起きているか分かってもらえたと思う。これでやっと役者がそろった。さあここからが真の幕開けだぞ。

第二章 地球を救うコンテンツ主義

 小さなモモにできたこと、それは他でもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話をきくなんて、だれにだってできるじゃないかって。/でもそれは間違いです。ほんとうに聞くことのできる人はめったにいないものです。そしてこの点でモモは、それこそほかには例のないすばらしい才能をもっていたのです。——ミヒャエル・エンデ『モモ』

 突然だけどあなたが出版社の社長になったとして、この出版不況のなか、次の三つのうちのどれを会社のスローガンに掲げるだろうか。

 (a)鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
 (b)鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス
 (c)鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス

 これは戦国時代の三人の強者のスタンスを表した句らしいのだけど、地球はいま資本主義社会という時代に突入している。(a)を選ぶことは出版事業からの撤退を意味している。本が売れないのなら、いっそのこと売るのをやめるという姿勢だ。しかしそんなことをしたら社員はどうなってしまう。雇用責務はどうなる。この選択肢を選ぶことができるのは水星人のカルロス・ゴーン君ぐらいなもので、地球人には選びにくいところだ。(c)を選んだあなたはたぶん、次の株主総会で辞任させられるだろう。経営努力を見せないと株主たちは満足しない。資本主義は競争なのだ。というわけでおそらく(b)の選択肢しか残されていないかと思う。
 では、どうやって鳴かせるか、実際に聞いてみた。

 (1)2004年10月26日、競馬関係の書籍につよい東邦出版の保川敏克社長を訪ねた。池袋にあるコンクリートとガラスのクールなオフィスにぼくは故郷を思い出さずにはいられなかった。
 ——どうしたら、売れる本ができますか?
「いまの出版社はまだマーケティングが足りない。もっと読者を見るべきだ」
 ——マーケティングとはどういうことを言うのですか?
「魚のいるところにエサのついた釣り糸を垂らすこと」
 ——なるほど。具体的にはどうするのですか?
「たとえば他の出版社のどの本がどれくらい売れているか調べたりね」

 (2)2004年11月8日、書籍だけではなく映像メディアにも通じているリュウホン・ビーイーの山本隆樹氏に聞いてみた。
 ——なんで本が売れないのでしょうか。
「編集者、著者がマーケティングできてないからだ。それができない人間はいらない」
 ——これから出版業界はどうなってしまうのでしょうか。
「柔らかい本、堅い本に二極化していく。また取次に頼らない出版社が生き残るだろう」

(3)2004年12月2日、出版社、書店の勉強会である出版ビジネススクールに火星人として唯一参加した。このとき講演していたのは日本経済新聞社の中町英樹氏。
 「いま出版不況を迎えている一つの原因が編集と営業の分離です。この垣根をなくすことで編集者は営業からどんな本が市場で求められているか分かるようになり売れる本ができるようになります」と彼は言う。
 また同日配られた冊子にはこのように書いてある。「編集優位のプロダクトアウト方式からの脱皮」「セールス重視からマーケティング重視へ」。

 (4)2005年2月4日、出版業界の盛衰に詳しい物語工房代表・安田京右氏の講義で配られたレジュメより抜粋。
  「出版界にも導入したいマーケティングと、固持したいアートとしての『文芸』」

 そう、(1)〜(4)から分かるようにキーワードは「マーケティング」なのだ。それはつまり読者をよく見るってこと。この人たちは出版界で指導者的な立場にいるので、その言葉には重みがある。これまで出したい本を出してきたツケがまわってきたのだから、もっと読者の要求に応える本をつくって、買ってもらおうとしている。そしておそらくこれは、正解だ。買い手にあわせた製品をつくることは理にかなっている。

 さて、ここからは音量をMAXにして聞いてもらいたい。寝ている人がいたら起こしてあげて。「読者を見ること」、これは地球人的な正解ではあるけれど火星人的な正解ではない。あのときぼくは素直に、ああそうかマーケティングの時代だ、と思って頷いていたかもしれないけど今は違う。あなたたち地球人の常識を鮮やかに覆してみたい。さあ、ぼくはついに言う。マーケティングなんかしていると、どんどん深みにはまっていくぞ!

 もし隠れた需要をダウジングのように掘り出せれば最高だけど、実際はそうじゃない。マーケティングという外来語の影では「真似っこ」が横行している。繰り返すけど、読者を見ることはミクロ的な意味では正解だ。「売れている本=読者がいる」の式は間違いない。余計な力は使わないで売れている本を模倣すれば簡単にそこそこ売れる本ができる。これは甘い蜜の味がする。

 たとえば日本語ブームはどうだったか。東京大学大学院総合文化研究科教授、小森陽一氏の「日本語ブームとナショナリズム」(学会誌『日本語教育』116号)より引用してみる。

 「21世紀の第一次日本語ブームが2001年秋からはじまり、ワールドカップの年である2002年までつづいた。その火付け役になったのは、1960年生まれの教育学者斎藤孝の『声に出して読みたい日本語』(2001年・草思社)で、2002年9月末段階で140万部を突破し、第二弾の『声に出して読みたい日本語2』(2002年・草思社)も、発売から一カ月で20万部を超える売れ行きで、二冊あわせて162万部に達していた。
 底無しの出版不況のなかで、この販売部数は異常事態だといわざるをえない。「柳の下の泥鰌」を求めて、各社が一斉に日本語関連本を出版し、多くの書店で一番目立つところに「日本語本」コーナーが設けられ、斎藤孝の他の出版社からの本も含めて、20種類以上が平積みになっていた。」

 これが現状なのだ。実際、Amazon.co.jpで「声」+「日本語」と検索すると本家の『声に出して読みたい日本語』以来、20冊以上の似た本が引っかかる。「声」というあからさまに真似たタイトルの本だけでこれだけあるのだから、コンセプトを似せた本は数えきれないほど出版されたことが予想できる。これが「読者を見る」ことなのだろうか。いくら泥鰌がいるからって、何十社も群がったらすぐに泥鰌は底をつきることは考えればわかるだろうに。
 日本語ブームだけじゃない。『キッパリ!』が100万部を超えてからというもの、ぼくはたくさんの出版社で「キッパリが売れているので似たやつを出しましょう」という言葉を聞いてきた。

 これがマーケティングの罠なのだと思う。ミクロの視点では読者のいるマーケットに向かって売れている本に似た本を放つことは正しい。しかしマクロの視点ではすぐに供給過多になってしまう。
 こんなことは地球上では往々にして存在する。たとえばあなたが東京から大阪に行こうとする。手っ取り早く行くには新幹線がおすすめだ。個々人の視点ではそれが最良の選択だとする。でも、みんなが最良の選択をすると、結局全体としては最悪の選択を選ぶことになる。東京駅にみんなが押し寄せれば長蛇の列ができて、乗り切れなくなる。
 その意味で「これは地球人的な正解ではあるけれど火星人的な正解ではない」と言ったのだ。ぼくたち火星人くらい地球を遠くから眺めて見れば、そのことに気づくことができるんだ。ことに出版は特殊な業界だ。それほど大きくない土俵の上に4500社が乗っかっている。みんなが読者のほうを向いたら、常に小さなパイの取り合いだ。

 こんなふうにしてマーケティングを叫べば叫ぶほど、似たような本が出版されてゆく。出版点数の増加が獲得したのは多様性じゃなくって画一化だったんだ。ここでもういちどあの文章を思い出してほしい。

 「一国の文化の普及など文化水準の維持を図っていく上で不可欠な多種類の書籍等が同一の価格で全国的に広範に普及される体制を維持するため、例外的に再販を認めるものである。」(1991年「政府規制等と競争政策に関する研究会報告」173頁)

 自由主義社会でわざわざ再販制度を定めていたのは「文化水準の維持を図っていく上で不可欠な多種類の書籍等」のためだったはずだ。でもこのままじゃ思想の画一化は進んでいくし文化水準は低下していってしまうんだよ。地球人よ目を覚ませ。マーケティングなんていうグロテスクな怪物と付き合うのは今すぐやめろ!

 じゃあ何が火星人的な正解かと言うと「著者を見ろ」ってこと。コンテンツ主義なんて呼んでもらってもかまわない。要するに魅力的な著者を探すことに尽きると思うんだ。これは読者を無視することじゃない。マーケティング主義の「読者にあう著者づくり」からコンテンツ主義の「著者が読者に歩み寄る」図式にシフトすることだ。

 ぼくはNPO法人企画のたまご屋さんというところで出版プロデューサーをしている(まだまだ未熟だけどさ)。そこでは「著者の企画をブラッシュアップして、数百人の編集者にメールで配信する」ということを行っている。特に読者のことは意識せずに、全国から魅力的な著者を探しだすことに力を注いでいる。あるとき面白い企画が出てきた。ちょっと見てもらいたい。著者はクリエイティブ集団株式会社浪漫堂に所属している廣田修さん。
 「本文では、ただひたすらに円周率を掲載しつづける。デザイン的な遊びとして、以下のようなアイデアが考えられる」
 そのアイデアとは文明の歴史を円周率に乗せて解説したり、まるいものを載せたりすること。どうだろう。こころにぐっとくる何かをぼくは感じた。こんなぶっ飛んだ企画って、マーケティング的な手法では生まれないだろう。こんなふうにして魅力あるコンテンツを囲っていくことが地球人には必要なんじゃないだろうか。

 もうひとつ例をあげると、英治出版という著者を向いている出版社がある。会社のホームページ(http://www.eijipress.co.jp/)には折り目正しく「経営目標」が掲げられている。「よいコンテンツをもつ個人、団体、法人がMy出版社を持てる出版環境を提供することで、出版によるセルフプロデュースを支援し、時代の文化創造に貢献する」というものだ。ああ、その言葉に酔ってしまう。
 ここはブック・ファンドというインフラを提供している日本でも有数の出版社だ。ブック・ファンドは自費出版の一派と思われがちだが、それはちょっと読みが浅い。ブック・ファンドは、商法の匿名組合契約を利用してコンテンツに共感した出資者を募ることに特徴がある。そのコンテンツの編集・営業を英治出版に代行してもらうという図式を取る。だれでも魅力あるコンテンツを見つければ、出版社になれるのだ。もちろん理想論で終わっていない。山田真哉氏の『女子大生会計士の事件簿』のヒットなど結果を出し始めている。英治出版の原田英治社長には何度か会っているけど本当に頭の切れる人だ。

 NPO法人・企画のたまご屋さんと英治出版を見てもらえればコンテンツ主義がどれだけ生き生きしているか分かってもらえると思う。「読者」という曖昧な存在に振り回されるよりも現実に存在するひとりの「著者」との出会いがどれほど素敵なことか。想像するだけでもとても優雅な気持ちになれる。

 ……実はそろそろ火星に戻らないといけない。その前にひとつ大切な話をしておきたい。ぼくはあるとき雑誌の創刊会議に参加させてもらった。中堅の出版社に分類されるだろう会社だ。そこでぼくが目にしたものは世にも醜い出版の世界だった。「とにかく内容よりもカネ」というあの態度。どこそこのライターはいくらだとか、デザインは初回なので安くしてもらいましょうとか、後半は適当な記事で埋めておいてだとか、聞いていて本当に腹が立った。もし出されたお茶を飲み干していなかったら、かけてやっていたことだろう(ああ残念だ)。
 もし地球人に活字文化を誇りに思ったり、伝統を次の世代に伝えたり、自由で知的な文化を創造する気が少しでもあるのならそんなことはやめてもらいたい。これまでくどくど書いてきたようにコンテンツを蔑ろにしたらそれはそのまま蔑ろにした人たちに返ってくるんだから。このままだと本がどんどん売れなくなっていくよ。泥沼にはまる前に冷静になって考えるべきだ。
 無限なる読者なんて幻想だ。時代の先端を走っていたコピーライターの糸井重里氏ですら『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(2004年・講談社)の中で消費者を追うことに絶望している。「とくに90年代後半に入ってからは、気まぐれな消費者の動向を調査せいては後追いし、ますます自分たちが何をどうつくるのかが分からなくなっているように見えた(p80)」というように。
 そしてマーケティングは死の道具だ。簡単にできてそこそこの利益が上がるからやめられなくなる。けれどそれは煙草のように確実に自身を蝕んでいくし、副流煙で出版業界はボロボロになる。どうかその前にコンテンツ主義を掲げてほしい。コンテンツさえよければ世界中にいくらでも読者がいることが「ハリーポッター」シリーズで証明されたはずじゃないか。
 ぼくがまたいつか地球に遊びに来たときに、書店がすごく賑やかになっていることを願いつつ、火星に帰ることにするね。じゃあ、またどこかで。

第三章 電子書籍との全面戦争は近いのか

 The Medium is the Message. ——マクルーハン『メディア論』

 ……ってて。なんてこった、宇宙船がエンストを起こしやがった。これでもう数日暇が出来たわけだ。ではついでだから書籍だけじゃなくてライバルとなる他のメディアの方も観察しておこうか。そういえば序章でそんなこと書いたっけ。

 ところで地球人のみなさんは文字文明の歴史をご存知だろうか。紀元前4000年に中国の陶器に絵文字が書かれて以来実に多くの伝達方法が生まれてきた。粘土、パピルス、甲骨、青銅器、竹、木片、ありとあらゆる素材にメッセージを託してきた。その中で紙はひときわ輝きを放っているように思える。そこに彗星のごとく現れたのが電子書籍だ。「神は死んだ」とはかの有名な哲学者の言葉だけど、ある時パソコンに「ka-mi-ha-si-n-da」と打ち込んでみたところ「紙は死んだ」と変換された。もしかしたらそれは誤変換ではないのかもしれないという宇宙からのメッセージを感じ取ったぼくは『ブック革命』(2003年・日経BP社)の著者である横山三四郎氏に取材を申し込んだ。

 杉並区久我山にあるご自宅を訪れたぼくは、そうめんをご馳走になりながらインタビューをした。またその日はじめて電子書籍の端末(ソニー製)に触った。ディスプレイが乱反射しないため読んでいて疲れないというのが売りだそうだ。軽いしデザインもいい。表示されるスペースが狭いのが難点だろうか。

 ——電子出版のよさはどこにありますか?
「わたしが今準備しているサイト(注:現在は「eブックランド」として運用中であるhttp://www.e-bookland.net/index.html)にちょうどその説明を書いたところだ」

1 印刷物より安く出版することができます。
2 長く、半永久的に保存できます。
3 紙の本としてもいつでも出版できます。「まずe-Book、それから紙の本」です。
4 文字を大きく拡大できるので、目の弱い方も楽に読めます。
5 作品をインターネットで多くの人に読んでもらうことができ、手ごたえがあります。
6 作品を検索して、いつでも、自由に、好きなときに読むことができます。
7 セキュリティが確立しているのでコピーされたり、改ざんされたりすることがなく、安全です。
8 紙を使わないので、緑の資源をなくしません。eブックランドは地球のエコロジーを大切に考えます。
9 著作をCD-ROMにして、国立国会図書館に寄贈、保存されます。
10 電子出版ではインクや紙代、倉庫や流通の費用が不要なので著者に多く還元できます。印税は実売の50%です。

 ——すごい。でもどうしてこれだけ優れているのに広まらないんでしょうか。
「ひとつには複数の企業がデファクト・スタンダードを狙ったために、規格がばらばらになってしまったことが理由としてあげられる。もうひとつの理由は出版社が協力体制を取らないからだ。電子書籍を敵視している。なので私のサイトではこれまでの出版物を電子化するのではなく、新しいコンテンツをここから広めていきたいと考えている」

 ——やはり電子媒体が紙媒体を超える日は?
「近いだろう」

 その日は、これからは電子の時代なのだなあとぶつぶつ呟きながら家路についた。けれど果たして電子書籍が書籍の対抗馬なのだろうか。電子書籍と聞くと書籍の進化版のように感じられる。それはあたかもゴジラ対メカゴジラのようだ。しかし実際にはまったくの別物だとぼくは思う。おそらく電子書籍は書籍から派生したというよりインターネットから派生したのではないだろうか。もしそうだとすると、書籍から見て電子書籍は脅威にはならないはずだ。ドイツの作家ウーヴェ・フリーゼルは別冊『本とコンピュータ4』(2000年)にこんな記事を寄せている。

 「コンピューターやインターネット技術の発達により、電子本やオンデマンド出版などの新しい読書の状況が生まれた。これをみるとさまざまな読書の手段が共存していくだろうし、メディア全体での印刷本の位置付けを見直すべきだろう。私はこの先、本の世界に破滅が訪れるとは思えない。1950年代には、テレビは映画館を根絶やしにするだろうといわれていた。それ以前にもヴァルター・ベンヤミンは映画の発達にともない小説は消滅すると予言している。そして言うまでも無く、いずれの言葉も現実のものとはならなかった。こうして考えるとメディアの多様化によって私たち自身の知覚行使がさらに分化していくというのが、私には最もありそうなこと結果に思える。本は、コンピューターとは違った需要を満たすものとして必要とされるだろう。」

 そうなのだ。電子媒体が書籍を駆逐するというのは大げさな危惧なのだろう。そんなわけで書籍と電子書籍が全面戦争をするということは今のところなさそうだ。(これを書いてしまうと蛇足になってしまうのだけど、もし書籍から電子書籍に覇権が移るようなことがあってもコンテンツ主義は動揺しなくてもいい。そのまま高品質のコンテンツを電子書籍で出せばいいからだ。)
 そもそも書籍とインターネットは本質的にまったく別のものだ。映画とテレビの関係よりさらに違いが大きい。たとえば料金体系をとってもその違いは歴然だ。インターネットでの情報は基本的に無料でないと成功しない。だから「プロ」は存在しにくい。その点、書籍は流通システムが完成されているし、定価も保証されているのでとても対価が得やすいメディアだ。

 クリエーターついでに言っておくと、最初に書籍は小さなメディアだと指摘した。それがにわかに輝きを帯びだす。たとえば新聞で極論を書くことは許されないし、テレビでマイナーな特集を行うとプロデューサーにげんこつをくらう。雑誌で大手企業を批判すれば編集長の首が飛ぶ。だけど書籍ならそれができる。小さなメディアの小回りが利く特性を活かして、かなり自由な言論活動が展開できる。
 どれくらい出版社が変幻自在かはこの言葉からうかがえると思う。「電話一本で出版社はできる」これをぼくに言った人物はふたりいる。ひとりはメディア向けの新聞「文化通信」の星野渉さん。日本の出版は世界にも類を見ないほど「健全だ」と言っていたのが印象的だった。もうひとりは英治出版の原田英治社長。「ほんとうに電話一本から今の出版社を作り上げた」そうだ。
 このへんの特性を全面に押し出して、出版には実在するクリエイティブな才能に光を与える存在であってほしい。コンテンツをつくる人間に幸せを与え、多様な文化を創出する出版であってほしい。糸井重里の「ほぼ日」のキャッチコピーが「ゴキゲンを創造する、中くらいのメディア」だとすれば、出版は「クリエイティブに光を与える、小さなメディア」がふさわしいのではないだろうか。そしたらまた必ず光り輝く時代がやってくるから。
 出版が斜陽産業だとして、いったいだれがそれを回復するのだろう。それを考えたとき読者なんていう曖昧な存在に頼ったり、一部のベストセラーに左右されるより、未来の才能に託す方がいいんじゃないだろうか。このルポルタージュに書かれていることを信じるか戯言だと思うかはあなたたち地球人が決めることだ。けどね。本当のところはどうか知らないけど、ぼくたち火星人には未来を予知する能力があるって噂だぜ。

 衰退は回復されねばならないし、回復されると僕は信じるが、しかしもっとも着実なその回復の筋道をつくる当事者たちは(…)若い人たちなのだ。——大江健三郎『新しい文学のために』

投稿者 大隅 : 2005年02月25日 15:38

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このリストは、次のエントリーを参照しています: 『火星人の見た出版』大隅亮:

» 火星人だった from Bloomsbury
半年かかって書いた出版論がついに完成しました。タイトルは「火星人の見た出版」。こ... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年02月25日 16:06

» [本屋編]地球人の見た出版 from 千人印の歩行器(walking gentleman)
前日のスレで紹介したように武田徹のジャーナリストコースの履修生たちが自前のブログを持ち、卒業レポをアップしてどれもこれも長文ですので、一つ一つユックリとロムして... [続きを読む]

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» [本屋編]一人出版社 from 千人印の歩行器(walking gentleman)
双風亭日乗の「会社の話」は地味なテーマなのに話題になった新潮社新書の『武士の家計簿』のようなスリリングさです。当事者である双風亭さんの孤軍奮闘振りを外野席で観覧... [続きを読む]

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コメント

ぜひコメントをお願いします。
特に出版業界の方の意見をお待ちしております。

投稿者 大隅 : 2005年02月25日 16:24

火星人くん、こんにちは。金星人です。
火星人くんの見た「出版業界」というのは、取次をホストコンピュータにしたパソコン通信の世界だと思うな。せっかく、火星から見たんだから、もっと大きな「出版の世界」を見たら、
楽しいんじゃないかな。とか言いながら、僕の新刊が角川新書から出るので、よろしくね(笑)

投稿者 橘川幸夫 : 2005年02月25日 20:27

>火星人くん、こんにちは。金星人です。
わあ、橘川さんって金星人だったんですね!
『暇つぶしの時代』すごくフィロソフィーにいただきました。

>取次をホストコンピュータにしたパソコン通信の世界だと思うな。
たしかに今回のルポであつかったテーマは「旧来からの出版」でした。オンブックをはじめ(笑)先端的な活字メディアについてはまた改めて報告書を書きたいと思います。

>せっかく、火星から見たんだから、もっと大きな「出版の世界」を見たら、楽しいんじゃないかな。
ありがとうございます。宇宙船が直るまで、もうすこし地球にお邪魔させていただくので、考え方を柔軟に保ったまま地球の観察を続けたいと思います。

>僕の新刊が角川新書から出るので、よろしくね(笑)
はい、火星にも地球ですごい本が出るって報告しておきます!

投稿者 大隅@火星 : 2005年02月25日 20:44

火星人・大隈亮隊長へのコメント    
 おお、さすがに火星人の俊才であるぞ。大脳の質量が土星人の当方よりも多いだけあって、なんとも短期間にこれほど地球の出版界の事を学んでしまったとは! さすが火星人じゃ。地球から遠く離れた土星人には、とても真似できないことであるぞ。
 しかし、まず最初に、ちと訂正してもらわなければいけない事がある。それは、土星人・安田京右の「出版界に導入したいマーケティングと、固持したいアートとしての文芸」を引用したところで、他の聡明な方々と同列に引用しているところなんじゃ。ここは、どうも引っかかるところぞ。
 なぜなら、一般に出版関係者がマーケティングという場合には、「読者が求めているもの」とか「本を買ってくれる読者」というような、それを開拓することによって、すぐ本が売れる、という意味で使われておるぞ。一般的に、かなり手前勝手な目先のマーケティングのイメージなんじゃ。
 それに対して、土星人はやや複雑に考えておるんじゃ。
 ユーザー(読者)については、マーケティングの教科書にも載っているように、
 「イノベーター(先見性のある極めて少数)」、
 「アーリーアダプター(比較的新しい物好き)」、
 「フォロワー(新しい物が流行してから動く多数派)」
の、ベクトルに沿った、最低三つの棲み分けを考える必要があるんじゃ。
 いま出版界でマーケティングと言っている場合は、最後のフォロワーだけを言っているケースが多いんじゃ。そうすると、どうなるかというと、出してすぐ売れる本ばかりが量産されることになるし、いろんな出版社がブームの後追いで動くことになる。パッと売れて、すぐ売れなくなる。つまり、薄っぺらなマーケティングのことを、火星人もマーケティングと言っているのではないかと、ちと気になった。
 本当にマーケティングを使いこなすなら、まだ多数の読者は存在していないが、近い将来、必ず多くの読者が増えるであろう分野を開拓する場合に威力があるんじゃが、そういうマーケティングを、はたして地球の出版人が使いこなせるじゃろうか? センスも問われるから、なかなか太陽系も大変なことであるな。
 そういう点で、気になるのが、火星人の結論めいた姿勢であるぞ。
 マーケティングの必要性というのが、出版界で薄っぺらな意味で使われてしまったものだから、対抗馬としてコンテンツ主義を持ち出しているが、これ、じつは、昔から出版界でよく言われていた、マーケティングなんか必要ない、「いい本を出せば、読者は必ずついてくる」という決まり文句に近い結論になってしまうのではないかと、土星人は懸念するわけじゃ。
 本当は、「イノベーター」や「アーリーアダプター」を育てる選択をする、勇気ある出版人が居れば、コンテンツ・メーカー(作家など)と手を携えて新しい世界を拓く事が可能になるんじゃが、さて、どうなるかじゃ。ま、本当の意味での教養がなくなりつつある、今の地球では難しいかもしれん。
 それから、土星人から見ると、火星人の「出版」についてのイメージが、主として「書店・取次ルート」の「書籍」に限定されがちなのが、ちと気になった。
 出版には、
 「書籍」「雑誌」「新聞」「直販ルートの会員誌・業界誌」「企業の広告物・販促物」など少なくとも五つの分野があり、これに関連領域として出版広告まで加えると、自動車やOA機器には及びもつかないが、存外に大きな市場であることがわかるじゃろう。しかも、だいたい土星人の試算によると、知名度のある出版社は、およそ二十倍くらいの売上高の別業種の企業と同じくらいの、世間に与える影響があると考えられる。
 地球から離れた土星人からすると、じつはインターネットも、音楽配信をのぞけば、ほとんど出版の世界に含めていいのではないかと思えるのだが、出版を紙の世界と思っている出版人、デジタル人(そんな言い方があるのかわからんが)共に、そうは思わんだろうな。ま、狭量な御仁が跋扈しているという事じゃ。
 いろいろ火星人に失礼な事を申したが、土星だって、口径6センチの望遠鏡で見られる「カッシニの空隙」や、20センチの望遠鏡で見られる「エンケの空隙」のように、頭の回りは、穴だらけじゃわい。
 最後に、一つだけ土星の格言を言って、終わりにしようかの。
 『マーケティング主義は、しばしばミスリードを余儀なくされ、コンテンツ主義は、しばしば凡才と付き合うことを余儀なくされる』

投稿者 地球からもっと離れた土星人・安田京右 : 2005年02月27日 06:02

ベテラン土星人の安田さん、コメントありがとうございます。

1:使われている「マーケティング」の意味について
今回ぼくが問題にしたのは広告業界的なマーケティング批判ではなくて、マーケティングという外来語の影に隠れた「真似っこ」批判です。土星人さんの言うフォロワーを対象にした安易な本作りが、長い目でみると出版を蝕むというのが主張です。マーケティング一般については否定しません。ただマーケティングとかなんとか言って結局は売れ線をつくるだけの地球人が多いようなので今回のルポで指摘しました。

2:取次ルートのみしか見ていないことについて
まず今回扱った媒体が「書籍」だけなのは、言論活動に重きを置いたからです。多くのメディアの中で書籍が言論活動において優れているのは広告がないからです。でもタイトルが「火星人の見た出版」なので、これは「第一部:書籍編」とするべきなのかもしれないですね。

3:視野が狭いぞ、について
金星人さんにもご指摘いただきましたように、今回は取次ルートしか扱っていません。これはひとえに火星人の視野が狭かったからであります。ただ取次以外の話をしはじめると本格的に新時代のビジネスモデルを提示しなければ非生産的な批判になってしまうので、いまの段階で書くことはできませんでした。まだ宇宙船が故障しているので、最終的には「火星人の見た未来」を書くことが目標です。

投稿者 大隅@火星 : 2005年02月27日 07:07

横山三四郎さんからは「わたくしのところについて言えば 敵視している というよりは 電子書籍が普及すれば紙本の売れ行きが悪くなるとみて敵視しているというのが正確なところでしょう。」というコメントを頂いております。

安田さんの箇所も含めて、(一応のところ)フェアな表記の範囲だと思うので、すぐに修正することはしないでおきます。またまとまって書き直すときに修正させて頂きます。ご了承くださいませ。

そのほか、表記に問題がある場合はご連絡ください。

投稿者 大隅@火星 : 2005年02月27日 07:16

編集・ライターのTさまからは「瑞々しい感性」だとお褒め頂きました。ありがとうございます。

編集者のWさまからは「二者択一」をせまるのは問題では、とご指摘頂いております。9.11以来の分かりやすい二項対立は危険だというものです。

確かに少し誤解を生む書き方だったかもしれません。話を分かりやすくするために「マーケティング主義 vs コンテンツ主義」を用いましたが、肝となる主張は「真似っこからオリジナルへ」です。なので「二者択一」とは少し違うのですが……いかがでしょうか。ご指摘ありがとうございます。

投稿者 大隅@火星 : 2005年02月27日 07:35

金星人です(先に言ったもの勝ちなので金星いただき)土星人が丁寧に指摘されたように、出版業界は小さい、という伝説は、マーケットなどというものにあまり関心のなかったのに、いきなり出版評論家になった人が、マゾヒスティックに不思議発見をして、ふれまわったからではないか。かつて、音楽業界は豆腐業界と同じ規模だと騒いでいた音楽評論家がいた(笑)業界売上高というのは、通常は、出版社の書籍・雑誌販売額+雑誌広告費ぐらいだと思うけど、企業や各種団体、行政などが出しているPR誌の世界もあるし(現実的に、それらを制作しているプレイヤーは、出版業界の人間と重なる)通販雑誌やタウン誌、フリーペーパー、コミケ同人誌、学会紀要、カタログなど、日本には無数の「出版物」がある。また、電通・博報堂の雑誌部をはじめとして、たくさんの出版業界を専門にする広告代理店があるし、それ以上に多くの印刷屋がある。キャラクタービジネスもあれば、通販ビジネスも、版権ビジネスもある。

2.3兆円というのは、古いパラダイムでの規模であって、火星人さんがリポートするのであれば、もう少し視点の高いところから、新しい業界規模の推計を出してもらいたい。というか、マゾ的に「自分らはビジネスといえる規模じゃないもんね」というコンプレックスに迎合せずに、むしろこれからの出版業界の可能性を展望してもらいたいですね。

電子ブックや携帯コンテンツ、Web制作も、出版界の編集プロダクション的な機能を持っているわけで、これらも広義での出版編集業界といえるでしょう。

要するに、ビジネスモデルなんか後からでよいから、とりあえず「出版業界」の陣取りを、もっと大きくしようぜ(笑)でないと、崩壊する古いパラダイムと一緒に死滅するだけだよ。

投稿者 橘川幸夫 : 2005年02月27日 08:22

金星人さま、コメントありがとうございます。
(なんだか太陽系会議になってきました…)

>かつて、音楽業界は豆腐業界と同じ規模だと騒いでいた音楽評論家がいた(笑)

気になりますね、もしや???

>2.3兆円というのは、古いパラダイムでの規模であって、火星人さんがリポートするのであれば、もう少し視点の高いところから、新しい業界規模の推計を出してもらいたい。
>でないと、崩壊する古いパラダイムと一緒に死滅するだけだよ。

新しいパラダイムについて語ることの重要性がよく分かりました。銀河系規模で考えたときに、垣根をなくしはじめている各メディア(フジとホリエモンはまだ)の中で出版がどこに位置するのか、位置すべきなのか、また地球人のみなさまの力をお借りして考えていきます。

なにをもって「出版」だとするか決めるのには、また長い道のりになりそうですが、ここまで地球に長居した以上はクリアにしたいです。

いつも見て頂いてありがとうございます。次作は大きな出版をあぶり出しますので今後ともよろしくお願いいたします。

投稿者 大隅@火星 : 2005年02月27日 13:52

こんにちは、太陽系会議の皆様。
月★に住む、usagiの章紀子です。はじめまして。

某土星人の方から教えられ、内容を拝見いたしました。
私は、まだまだ出版業界については勉強不足で、
「なるほど、なるほど。」と読ませていただいたのが正直なところです。

最近、本の出版に関わらせていただき、書店でのPRのアナログな方法や、大型展示の裏側、アマゾンでの購入騒ぎなど、結構、色々な事件を経験し、少しだけ出版の現場をかいま見て、非常に楽しい思いをいたしました。

この時の出版本はブランディングのビジネスノウハウ小説。そして、ターゲットは、そもそも活字離れしている20代後半のビジネスマンで、彼らに読んでもらうためにはどうしたらいいのか、ということを編集部や販売、著者、関わる会社等で色々話し合いをし、装丁や中身の作り方、値段などを決めていきました。

実際に、本当に活字離れしている20代の人が本屋に来るのか、という議論はさておき、今、また、メールの普及で「文字」や、その時の感情や状況を表現することに慣れている若い人たちが増えているということも聞きました。

今後を考えると、書籍のあり方や出版業界にも、新しいことが起きるちょうど過渡期なのかもしれません。

いずれにしても、「書籍」という紙文化(こういう表現でいいのかわからないのですが)がもたらす、なんとも言えない“質感”や“匂い”は、やはり電子と比べ物にならない慣れ親しんだ暖かさや一種の懐かしさ、安心感などが感じられるように思いまして、改めて、「書籍」はいいなぁ、と思っている次第です。小さな自分だけの世界がつまっていて、いつでも開くとその世界に行くことができる扉のようで、宝物になりますよね。

私の個人的な興味でいうと、「書籍」だけではなく、「雑誌」についても、ぜひ火星人さんのレポートがみてみたいです。昨年、雑誌は確か、200の新刊本が出、そのうちいくつもが消えていっている現状や、今回、満を持して創刊された40代男性向けのマガジン(タクシー他、宣伝手法も頑張ってました)の今後など、非常に興味深いです。

え、私が書けって?
いや、人が書いたモノの方が面白いので、ぜひ♪

出版業界のマーケティングの専門的な意見が述べられていなくて、すみませんでした。では、では、失礼いたします~。

投稿者 usagi章紀子@月★人 : 2005年02月27日 14:31

月の章紀子さん、コメントありがとうございます。
月でもすごいことしてるんですね!

紙の質感に関してはぼくも同感です。(例えばですが)やっぱりプレゼントにもらうなら本がいいですよね。だけど生まれた時からインターネットをして、ケータイを持ったヤングな世代がどこまで紙に親しみを持つかはいまのところ分かりません。身体性って世代間でどこまでギャップがあるのでしょうか。この辺も電子書籍、ケータイetc...を考える上ではまだ乗り越えたい課題です。

雑誌はほとんど経験ないので今のところ書けませんが、書籍のお隣さんなのでそのうちお邪魔したいと思います。

投稿者 大隅@火星 : 2005年02月27日 15:21

「太陽系会議」というのは、新雑誌のタイトルにするとよいですね(笑)雑誌「太陽」と「編集会議」を合わせたみたいで。

音楽業界は豆腐業界発言は、渋谷に事務所のある陽一です。
相棒です。

かつて映画の業界には「五社体制」というのがあって、牛耳ってたが崩壊した。出版や放送にも、同じような体制があって、まだ、しぶとい。ホリエモンがやってるのは、古い放送業界のパラダイムを超えたところに「放送」を位置づければ、企業価値が上がりますよ、ということなので、それをちゃんと言葉にすればよいのに(笑)。インターネットという有線メディアと電波という無線メディアの融合というのは、非常に大事なポイントです。

繰り返すと、2.3兆円市場は、取次を中心とした出版書店業界であって、この体制は、早晩、大崩壊する。崩壊する市場のマーケティングなんかやっても、何のノウハウにもならないと思うのだが(笑)崩壊を前提に動きはじめた、リプライオリティみたいな企業の活動には興味があるけどね。

再販制度が、出版業界を守ったのかも知れないが、弱くもしたんだろうね。

本というのは、それだけで文化だ。僕らは雑誌は捨てられても、本というのは、捨てるのに躊躇する。その文化意識が、ブックオフを成立させたんだろうと思う。

てなことを、次の本で書いてます。書店で買ってね(矛盾笑)

出版は面白いよ。頑張って、フィールドワークを続けてください。ではまた。

投稿者 橘川幸夫 : 2005年02月28日 07:56

はじめまして。こりん星から来た現役出版社員(ちっさい所ですが)の滝口です。友達のJCの子から「出版社の事が面白く書いてあるから見てみたらどう?」と紹介されて来ました。

「よーし、出版について適当なこと書いてたら大人げないくらいに鋭くつっこんでへこましてやる!」と思って読みました。

・・・まいりました。出版社勤務の私より詳しくて逆にへこまされました笑 火星人さんと同じように出版に対する現状を憂いた本と言えば、佐野先生の「本コロ」が有名ですね。ただ、あの本は素晴らしい本なのですが、(一応)業界にいる私では分かるけれども一般の人には馴染みのない取次とかそういう専門用語を「え?これってみんなが知ってることでしょ?常識じゃん」という、愛媛人が「いろう」を共通語だと思ってるかのような認識で書かれていて、業界人のためだけの本になっていたような気がします。その点火星人さんのルポは一般の人にも分かりやすい視点で書かれていたのが素晴らしいと思いました。

と、あまりべた褒めなのも、火星人さんのためにならないので、いくつか思った事などを。

>今、僕は語ろうと思う。(…)弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。付け加えることは何もない。(中略)

センテンスの初めに入る村上春樹さんなどの引用が入りますね。あれは別にいらないかな?と思いました。コピーをつけるなら、火星人さんのオリジナルが見たかったような気もします。あってもよいかな?とは思うんですが、ちょっと蛇足的かな?と、その程度ですが。

>ブログの設置方法だったり映像メディアの編集なんかは教えてくれない。この中でブログをいじれる人がどれだけいるだろうか。電子書籍を実際に使ってみた人は? ビデオクリップを作った人は? でもそれって若い人の仕事なんだと思う。

たしかにその通りかも知れませんね。うちの編集長なんか、アナログ主義で先方がWORDで書いた原稿を、わざわざ印刷させてFAXで送らせるんですよ笑 打ち込みめんどくさいっつーの。Eメールしたほうが、お互い手間はぶけるっつーの。

・・・とまぁ、上の方に保守的なアナログ主義者がいるのも問題なのですが、火星人さんがおっしゃるとおり、出版は自転車操業で、いつつぶれるか分からない状態なんですよ。だから手が広げられないというか、冒険できずに従来の安定したやり方をせざるを得ないというか。仮に手を広げようと思っても日々が激務なもので、人員を割けないという物理的な問題もありますね。うちもWEBを少しやり始めようかという計画はあるのですが、WEBデザインとSEを紙専門のエディトリアルデザイナーに兼任させているという無茶な状況だったりします。

>編集プロダクションは基本的には出版社の下請けだ。

編プロの人に下請けとかいうと相当怒るので使い方には注意が必要っす笑 

>こでぼくが目にしたものは世にも醜い出版の世界だった。「とにかく内容よりもカネ」というあの態度。どこそこのライターはいくらだとか、デザインは初回なので安くしてもらいましょうとか、後半は適当な記事で埋めておいてだとか、聞いていて本当に腹が立った。もし出されたお茶を飲み干していなかったら、かけてやっていたことだろう(ああ残念だ)。

これは、実は出版社側でも思っていることです。内容のいい本にしたい。売れなくてもいいからいい本を出したい。そう常々思っています。

でもこれ、悲しいけどビジネスなのよね。

採算度外視でいい本を作りたい→度外視だから金がいる→売る本を作らなければいけない→不況&活字離れで売れない→金がいる・・・

のデフレスパイラルなんです。たとえとしてどうかと思いますが「衣食足りて礼節を知る」そんな感じですね。明日の生活もままならないのに、良い本創ってる暇ない、売らなければ!ってな感じです。

じゃー売れる良い本つくればいいじゃん。てな感じですが、これを語るには時間がかかり、そろそろ出社しないといけないので、別の機会に。

個人的には、朝の4時に起きて、出社するまで原稿作成しないといけないという、出版社の体質に問題有るんじゃないかなー?と思いますが笑 体力&精神的のも余裕ないといい本作れないですよ。お金もですが。

仕事に区切りがついたら感想を書かせていただきたいと思います。

それでは〜

PSどうでもいいけど、ここMACで書こうとすると激しく文字化けしますね。あぁマイノリティの悲しいサガ・・・。

投稿者 滝口@こりん星 : 2005年02月28日 08:24

>橘川@金星さん

・別冊「銀河系会議」もよろしくですw
・やっぱり陽一さんだったんですね!

・書籍は所有欲を刺激する面白い媒体ですよね。絶対読まないのに世界文学全集を持ってる家があったり、ぼろぼろになるまで繰り返し読んだ本が宝物になったりと。不思議なメディアです。

・「世界の終わり」がそこまでやって来たときに(多くの)大人の脳みそは保守的なのでこれまであった世界にしがみつこうとします。年齢と共に脳が固くなるのは自然の定めなので、仕方がないです。リプライオリティさんは従来の場所を新しい場所にずらしていこうとしていて面白いです。昔の人に気づかれないようにそーっと新しいパラダイムに移行するのは賢いと思います。

・新刊楽しみにしてます!

>滝口@こりん星さん

・コメントありがとうございます。ジャーナリストコースの武田徹先生いわく、ネットで公開して荒波にもまれろ、だそうです。なので頑張りますw

・ルポへ文芸からの引用を多用するのはひとつの実験だったので、賛否両論かなあと思ってます。村上春樹さんからはじめたのは、火星っぽさを演出したかったからです。「村上春樹」と書くだけで日本の雰囲気を脱出できるのはすごいです。

・「編プロ下請け」発言は、もしぼくが都知事とかだったらマスコミに叩かれてるとこですね…。ご指摘ありがとうございます。次回、修正リストに追加させて頂きます。

・文化と商業はなかなか両立しませんね。ハリウッド映画は両立した希有な例かなと思います。もちろん多くは「くだらないアメリカ映画」だと思いますが、あそこまで巨大な芸術をつくる仕組みはすごいです。出版でいえばもっと国際展開できればカネと質の向上になるかなと考えています。アジアでのエージェント代が読めるようになればしめたものです。「売れるいい本」の話、ぜひお聞かせください。

・ちなみに火星の宗教はMacintoshです。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿者 大隅@火星 : 2005年02月28日 12:06

こんにちは! パンダ@某M澤です。コメントが遅くなってゴメンなさい。
ふ~ん、火星人クンはホントに出版に興味があって、ご自身なりの問題意識をもって業界を考察しているのね。とても感心です。

火星人クンは、「マーケティング=消費者ニーズの把握」と狭義に捉えた上で、 -「読者にあう著者づくり」から「著者が読者に歩み寄る」図式にシフトする- ことが重要、としたのだと思います。
(全文から察するに、もっと言えば「読者から著者に歩み寄らせる」と言いたかったのかしら?)
いずれにせよ、マーケティングを生業とするパンダからしてみると、これはまさしく商品開発戦略の一環であり、著者やコンテンツの掘り起こしを行うこと自体も、広義では立派なマーケティング活動だと思います。
パンダは出版に関する知識はゼロですが、消費者ニーズに根ざした「合致型の書籍」作りをすべきなのか? 新しい著者やコンテンツの掘り起こしによる「提案型の書籍」作りをすべきなのか? それは書籍の分野やテーマによって使い分けていくべき戦略なのかも知れませんね。

また、 -大手広告代理店が「これ」と決めた本の論調が、または大手出版社が「これ」と決めた著者の思想が、読者に有無をいわさずなだれ込んでくる- の一文を読んでふと思ったのですが、消費者はそれに洗脳されているのでもなく、踊らされているのでもありません。
多くの消費者側から言えば、書籍に関して入ってくる情報が非常に乏しく、火星人クンの言う通り「本当はもっとたくさん本が出ていて、たくさんの著者が存在している」にも関わらず、未だマスを対象とした全方位型の情報程度しか届いてこないという不幸な状況にあるのです。

論文のテーマとは少しズレてしまいますが、よく出版業界の不況を「消費者の活字離れ」によってなどと、あたかも“人のせい” にした言い方をする方がいますが、パンダが思うに、消費者の多くは活字が嫌いなワケでもなく、本が読みたくないワケでもないと思います。
どちらかと言えば、読みたい本・必要な本が『見つけられない』状況にあるように思います。自分にとって必要な本があることに、気付いてもいない場合も多くあるでしょう。
消費者はおバカではありません。消費者はとっても賢くて、とっても厳しい選択眼を持っていて、そして何よりとっても忙しいのです。読みたいテーマもあるし、新しいテーマと出会ってみたいという意欲もあります。ただ、それに割ける時間がないのです。
そこを、「作ってやったから、自分で探しに来い!」という人がいたとすれば、怠慢の他なりません。
(というか、そんなことで市場が形成されるなら、パンダの住む広告惑星は消滅します。。。)
「合致型の書籍」であれ「提案型の書籍」であれ、消費者ひとり一人に対して最適な書籍をリーチさせるような、出版業界におけるOne to Oneのコミュニケーションがもっと発展していくことを、一人の本好きとして望みます。
機会があったら是非とも、書籍のレコメンデーションやセールスの構造についても考察してみてください。これからのご活躍を期待しています。

投稿者 パンダ@某M澤 : 2005年02月28日 16:05

広告惑星のパンダ@某M澤さん、コメントありがとうございます。

>これはまさしく商品開発戦略の一環であり、著者やコンテンツの掘り起こしを行うこと自体も、広義では立派なマーケティング活動だと思います。

・有益なコメントをありがとうございます。やはり「マーケティング」という言葉はくせ者だという印象が強まります。広告のプロ以外の人(ぼくのことですが)はマーケティングという言葉が示す意味を把握しきれてはいないと思います。だから危険だと、火星人は思うのです。(もうちょっと勉強しなくちゃって思います)

・消費者のライフスタイル・行動が多様化したのに、いまだにマス対象のプロモーションを行っているため、本が売れなくなったと言えるかもしれません。もはや山口百恵を家族全員で見る「ちびまる子ちゃん」的な日本は終ったのですから。

・先日、出版の新しいマーケティングモデルを始めようとする学生起業家の方とお会いしました。具体的な内容はシークレットなのですが、従来の方法よりかなり柔軟なやり口だと思いました。やはり新時代の新手法は若い人が築いていくんだと確信しました。(個人的にもレコメンド型の書評サイトを日販さんにプレゼンしたりしました。火星人さえ頑張れば、通るかもという感じです。)

・Amazon.co.jpはそのへん動きが早くて、消費者の好みに合わせて書籍を表示したり、消費者にリストをつくってもらったり、いろいろやってますよね。

・活字離れ論について:以前、出版業界用の新聞「新文化」に大学生の活字離れを批判した寄稿がありました。最近の学生は勉強しない、本を読まない、けしからん、という論調でした。地球人の大学生の気持になって考えると、もう「めっちゃムカつく」んじゃないかなって火星人は思います。

・消費者との離反がおこっているのに、それを「教育」の分野に責任をなすりつけるのは、非常にずるいです。そんなことしはじめたら、全ての問題は「教育が悪かったから」に収斂してしまします。

・ぼくのほうこそ論点から延々とずれて話してしまいました……。「書籍のレコメンデーションやセールスの構造について」もフィールドワークしていきたいです。そのときはまた読んでください!

投稿者 大隅@火星 : 2005年02月28日 17:14

ルポに登場する山本隆樹さんと原田英治さんからもメールを頂きました。ありがとうございます。

山本さん@冥王星は「元々他業界のマーケティングは同一商品のリピートに裏打ちされて出来るものであって、出版物は一人の消費者が同一商品を繰り返し購入するものではない」と指摘してくださいました。ルポが完成する前に欲しかったコメントですw

原田さんからは「期待していてください」と心強い言葉を頂きました。やはり英治出版は要チェックです。もし出版が競馬だったら、◎です。

投稿者 大隅@火星 : 2005年02月28日 17:52

ずっとずっと信じているんですよ、本はインディーズ、と。
本や映画など人間の脳の中身を表現するデバイスについてマーケティング論なんて大量生産が前提となった言葉。
マーケも実用書などの制作課程では徹底活用してもらえればよりよいものができるでしょう。
グーテンベルク時代って聖書印刷よりも料理本で近所の主婦の人気をGETしてたらしいし。世界史上印刷屋が一番もててた時代ではないかと勘ぐってます。

言いたいことある人がたくさんいて本書きまくってたら活字離れなんて言葉存在しないとおもうんだけどな。
すぐとなりに著者が住んでる状態を作りたいですね。

それにしても
過去データでつくった本でコミュニケーションが成立するのだろうか? 他人の話しても女くどけんしね。

手紙 絵 ダンス 歌 メール ご馳走 読書 語らい 面白いことや哀しいこと、いろんな出来事を表現することへのあきらめやサボタージュが現状を作り出してしまっている。出版だけぢゃないとおもう。
ぼくはもう一つの星を作リ始めた。
衛星がいいな、月みたいの。luna、、ウン
Take The Lunatic

投稿者 Altairien : 2005年03月03日 11:14

 論考興味深く拝読しました。
 ここらで、下請け業者(笑)からも、コメントをさせていただきましょう。
 私は、ほんとうに小さな編プロをやっております。我が社は、「出版界の町工場」(笑)を名乗っています。ですから、私は、町工場のオヤジといったところです。世の中には、●●編とか、××監修などという冠がついてはいるが、誰が書いたかわからない本がけっこうありますよね。そんな本は、我々が作っていることが多いことは、ご存じのことと思います。「編集協力」とか「執筆協力」などとして、名前が出ることもありますが、そんな本の多くが編プロに丸投げで作られています。
 上のどなたかのコメントに「衣食足りて礼節を知る」とありました。まったくその通りですが、悲しいことに、裏を返せば現在の出版社の多くが、「貧すれば鈍す」であることは、火を見るより明らかです。
>2.3兆円市場は、取次を中心とした出版書店業界であって、この体制は、早晩、大崩壊する。
 私も橘川さんのこの意見、しごくもっともだと思っています。とくに雑誌の世界なんて、一部の世間師みたいな人が、いまこの会社が金余っていて、マーケの結果、こんなイノベーターがいて、だからこんなページ作って、それをこうアーリーアダプタにこんな見せ方で見せると受けて、だから、これで説得すればその会社は金を出すに違いない。てな話を、青山だか、六本木だか、銀座だか、築地だかでやらかしているだけです。こんなことして面白がっていてもしょうがないと思うのですが……。 マーケティング論もいいけれど、若い人には、情報資本主義が市場を作り出すシステムを、きちんと相対化して、その先の枠組みを考えて欲しいですね。町工場としては、いつ大崩壊がきてもいいと思っているんです。だって、きれいにねじ山が切れれば、どこかにアダプトするんですから。
 出版人という言葉は、とても好きな言葉ですが、既存の体制には、ほとんど思い入れはなくなりました。お師匠さんの武田さんも、オルタナティブなジャーナリズムを考えていらっしゃるみたいですが(この試みがまさにそうですね)、ブログも含めた、ネットをどう編成していくか、じっくり考えたほうがいいと思います。良質のフリージャーナリストで食えている人が、どれだけいるかを考えると、ガラガラポンとしたくなる、今日この頃(笑)。中腰で戦う毎日です。
 長くなりましたが、今後の活躍に期待します。

投稿者 村人 : 2005年03月07日 21:32

(まったく見当違いな分野からのコメントです。我ながら山寺が太陽系の一員であったとは知らずにいたのですが。)

私は「山寺」のスケールで、ポスト・モダンなる現代のブレークスルーを模索しています。

http://www.yamadera.info/jushoku/jushoku-1703.htm#熱い

(この記事はその前の「現代人」の続信です。)

いきなり「死」へ飛んでしまうとここでは場違いでしょうが、背景に「情報の時代の到来」という問題意識を持っています。

「自己増殖するもの」(これは、厳密な一神教にとっては徹底的に否定されるべきものとなるはずです)として、かつては(もちろん今も)「資本」があった。それがまさに今、「情報」へと脱皮あるいは飛躍しようとしている。大雑把にはそのような捉え方です。

もちろん、これら「自己増殖するもの」は、言語の(見方によれば)鬼っ子です。ですから一神教の立場からすれば、そもそも智恵の木の実を食べたときから、我々は神にそむく宿命を背負わされているというストーリーを描くこともできます。

それに対して、自己増殖するものとは〈いのち〉であると捉え直し、いわば資本も情報も言語さえも、大きな〈いのち〉へ回収していくことができないだろうかというのが「仏教者」としての私の立場です。

(言語とタメをはることのできる道具として「身体」の再定位をめざしており、「死」はそのためのステップです。)

さて、そのような問題意識・課題を担っている者にとっても、貴氏の提言は面白かった。まずそれを表明しておきます。(そのくらい、うまくツボを押さえているのだろうというくらいの意味です。)その上で、貴氏が「オリジナル」をどのように定位なさっているかによって今後の展開が大きく分かれそうな気がしています。(楽しみにしています、と読み替えてくださってかまいません。)マーケティングという土俵に乗ったオリジナルでは最初から話にならないのは当然としても、オリジナルの錨をどこに下ろすかで、金脈に当るか最初から化石になるだけかの違いが出てくる。

私の発言は、雑音として無視してくださってもかまいません。が、「火星人」という視点はすでに「情報」の離陸に乗ったものだと思います。どこに軟着陸なさるのかを見守ります。

(長文多謝)

投稿者 おしょう@山寺 : 2005年03月08日 09:06

大隅@火星人です。
なんだか銀河から火星にコメントがたくさん届いてきまして、嬉しい限りです。

Altairienさんへ
・みんなが夢中になって表現活動できる環境ってぼくも素敵だと思います。おそらく戦後の出版社ががんがん立てられた時代ってのは、いまのITベンチャーのような様相だったのではないかとぼくは想像します。講談社だって確か最初はひとりの人間が「講談」を売ろうと考えたところからはじまったはずです。東京大学出版会も学生グループが発端です。それはおそらく熱い時代だったと思います。いまの起業家ブームに準ずるような。活字離れなんて言葉はそのころにはなかったでしょう。ぼくが住みたいのはそんな星です。
・衛星みたいなメディア良いですね。こんど混ぜてください!

村人さんへ
・「出版人という言葉は、とても好きな言葉ですが、既存の体制には、ほとんど思い入れはなくなりました。」という言葉、すごく重いですね。
・出版はたんなるメディアではなくて、とりあえずのところ文化も守らないといけません。たとえば川端康成さんは一行書くのに数日かかったなんて伝説があったり、いまでもポール・オースターさんなんかは手書きで、こつこつ書いたり直したり、すごくゆっくりしたスピードで文章を書いています。これを文化と呼ばずして、なんと呼ぶ。ってな感じです。その人たちを既存の枠組みではもう守れないのかもしれません。「貧すれば鈍す」時代になったとしたら。
・武田さんほど骨太にはできませんが、ぼくもオルタナティブな空間作りをしていきたいと思います。コメントありがとうございました。

おしょう@山寺さんへ
・コメントありがとうございます。仏教をされている方にも読んでもらえて、ますます嬉しいです。個人的には「神」という宗教が、「資本」の宗教にかわって、「情報」宗教に移っていく流れだと解釈しています。中世は神がパトロンであり、近代は資本がパトロンであり、そして次は「情報」が文化のパトロンになるうるか、というタイミングにぼくは地球にやってきました。
・オリジナルのことをぼくは普段、魂のコンテンツなんてふうに呼んでいます。文化祭的な熱気の中でつくるコンテンツです。そしてそれを支えるのが、口コミなどの古典的な手段です(さいきんはSNSなどで見直されてますよね)。武田徹さんの目指したものも低コストのジャーナリズムでしたが、それに近いかなと思っています。うーん、まだ定位できてないですね。
・おしょうさんのコメントにはすごく論考をインスパイアされました。ぜんぜん雑音なんかじゃないですね。ただノイジーなサウンドのほうが心地よかったりするので、「情報」における「雑音」のあり方も考えてしまいます。

投稿者 大隅@火星 : 2005年03月08日 10:33

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