« トルコのアンカラで、3人の鳥インフルエンザ感染を確認(goo/reuter) | メイン | 山崎氏:靖国は自民党総裁選の争点(MSN/Mainichi) »

2006年01月10日

除雪の手足りず、悲鳴 「危険」「早く春に」(yahoo/共同)

除雪の手足りず、悲鳴 「危険」「早く春に」

災害が自衛隊の宣伝に利用されている感があるのはともかく、私が気になったのはボランティアに対する、極めて否定的な人々の感覚です。
「しょせん素人」というボランティアとの対比で「プロの自衛隊」があるわけですが、むしろそうした感覚が日本のボランティアが素人であることを定義してしまっているのでは?

件の自己責任や、反ホワイトバンドなどのボランティアに関する日本人の反応をみて、常々感じていたのですが、日本人の「仕事」と「ボランティア」に対する線引きの強さは異常ではないでしょうか?
「プロ市民」といった言葉が嘲笑の対象になるのは、実はプロという言葉と公、ボランティアとかアマチュアという言葉と私、が結びつきすぎて、プロという公と、市民という私のギャップに彼らは反感を感じてるんじゃないかと、思った次第。

まとまってなくて、すみません。

投稿者 赤木 : 2006年01月10日 06:42

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.journalistcourse.net/blog/mt-tb.cgi/418

コメント

それにしても役所は「公民協働」とか言ってるんですが、ひとときのボランタリズムの運動がちょうど自己責任論辺りから曲げられているようでどうしたものか。参加する精神にプロもアマもないし公私を越えた民間の社会参画という基本的なことも今のビータイプにはわからないんですかね。ただ、プロ市民という言葉は「きれいごと言ってホントは私利私欲でやっているのだろう」という古典的な嫉妬からきていると思います。

阪神大震災から10年以上経って、ボランティアの可能性から生まれる民よりもボランティア=アマチュアというイメージに戻そうという印象を受けます。社会事業は公か公が委託した企業(プロ)がやるものというビータイプへの印象づけがあるのかもしれません。もっとも雪国には本来あった公共の協働作業が廃れてしまってそれどころじゃないはずなのですがそうした問題意識をビデオニュース以外に問う声が少ないのも気掛かりです。そうした公共圏の縮小は市町村合併の悪しき成果なのですが。

また、仕事とボランティアの線引きをみて、赤木さんの追いかけてる「下流社会」にみえる「私」の主張を「プロ」な視点として粉飾して語ろうとする問題を想起しました。

投稿者 さおすけ : 2006年01月16日 22:25

コメントしてください




保存しますか?