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2006年08月29日

地下鉄消えるはずだった!50年前の未来像、6割外れ(gooニュース)

地下鉄消えるはずだった!50年前の未来像、6割外れ

高度経済成長期ど真ん中の予想がはずれるのは批判するべきことではないと思う。
「主婦がテープレコーダーに吹き込むとその家事をこなす電子お手伝いさん」は三種の神器が普及しつつあったことが背景か?
でも科学技術庁がこういったユーモアのある予想をしていたのは、やはり高揚感というか未来に対する期待が日本全体にあったからではないだろうか。生まれていないから分からないけれど。

パーソナルコンピュータの父といわれる、アラン・ケイは「未来を予測する最良の方法は未来をつくってしまうことである」と言っている。未来を予測することが心躍るような世界(未来)をまずつくらないと、感じた。

※タイトルと内容が一致していないのはニュースとしてどうなのでしょうか。
こちらを読むともう少し詳しく書いてあります。

投稿者 野崎 : 2006年08月29日 19:05

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コメント

ニーチェが歴史には骨董的歴史と批評的歴史があると『反時代考察』で書いています。骨董的歴史というのはただ愛玩されるだけの歴史。「昔は良かった」と思い出される歴史ですね。ニーチェはこれは評価しない。軽蔑する。そんな過去を愛玩しているのは生命力が低下しているからだと。それに対して今をよく生きるために過去の歴史を批判的に用いる姿勢がある。それを批判的歴史と彼は呼んだんですね。
未来に対しても骨董的(って未来に対してだと変ですが)未来と批判的未来があるのではないかな。ただの夢物語は骨董的な未来。ニューメディア社会の未来像がいかにいい加減だったかは佐藤俊樹『ノイマンの夢、近代の欲望』が示したところ。それに対して今を批判的に捉え返すための未来像というのもあると思う。『沈黙の春』とかが先駆けでしょう。
60年代の未来像は今省みると色々面白いけど、全体的にまだ現在への批判性は乏しいですね。これは官民ともにそうだったかも。ただ細かくみれば色々あると思います。たとえば手塚治虫の60年代はどうだったのかな。

投稿者 武田徹 : 2006年08月29日 20:41

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